スポンサーリンク

「桜を見る会」なんで今さら新文書?#25《後編》+#26

2020年1月21日の「桜を見る会」ヒアリング25回目の後半まとめ。

 

こちら前編記事。

「桜を見る会」歴代人事課長ら6人はなぜ厳重注意されたのか #25《前編》
2020年1月21日、ヒアリングは2回行われた。 途中で政府側が、新たな文書を公表してきたためだ。 まずは、新文書が出てくる前のヒアリングのまとめから。 といっても、この回も相当に濃密だ。 最初にまた黒岩議員が苦情を申し...

 

2013年から17年までの「桜を見る会」名簿について。
内閣府内閣官房にはあるのか?という質問に、「一年未満なのでもうない」と中井参事官は答えた。
この時期、名簿を取りまとめる「内閣府人事課」では、1年保存規定であったにもかかわらず、文書管理簿に載せなかったことが問題になり、歴代人事課長が厳重注意処分を受けた。
しかし、内閣官房では1年未満だったという。
では、同じ内閣府で名簿の扱いが違うのはどうしたことなのか?

 

そもそもこの「名簿の扱い」となる、一年保存か一年未満かという判断は、それぞれの所管の省庁で、その文書が「歴史的文書に当たるか否か」を基準に独自判断されるという。
それなら、おなじ内閣府という省庁内で、同じ書類が一方では「歴史的」と判断され、一方では「歴史的ではない」と判断される理由はなんなのか。
また、「歴史的文書」とされたものが、翌年分から「歴史的」でなくなるというのも、合理的な説明がつかない。
こういう時、やはり政権与党の「歴史観」というのは、省庁にも伝播するのだろうか。
公文書の問題は、結局、この国の歴史のあり方に遠からず影響をもたらすということを実感するやり取りだった。

 

では、国交省。(ヒアリングに珍しく国交省が呼ばれている。)
質問があらかじめ紙で配られて、番号で答えを求めているので、内容がよく分からないのだが、おそらく推薦者名簿のことだと思う。

 

黒岩議員「2011年12年、これは管理簿に載せてますか?」
国交省役人「載せていません。」
黒岩議員「理由は?」
国交省役人「分かりません。2016年からは載せてますが、それ以前は、確認中だが載っていない。」
黒岩議員「私の想像では、11年12年が載せてなくて、13年以降は載せてると思ったんだけど・・。これ残念なんだけど、今の内閣府とパラレルで考えると、2011年から2016年までは・・・課長さん、処分だわ。」
国交省役人「文書はあるのですが、管理簿には載ってません・・・。」

 

これを質問した黒岩議員の意図は、「他省庁で、中止の11年12年は管理簿に載せていない。13年からは載っている。」、このように内閣府以外の省庁が足並みをそろえていれば、これを根拠に「ほらね、11年12年は、中止だったんだから他の省庁でも、この2回分に関しては、管理簿に載せてないんですよ」という、理屈に持っていく算段だったようなのだ。
が、しかし、11年~16年まで、国交省も管理簿不記載だったとは・・・、ショックを受ける黒岩氏。
国交省にも官邸の手が回っていたのか?
それともこれが真実なのか?

 

しかしこれが本当なら、こういうことは、すでに政府全体に蔓延してしまっているのか?
日本政府の文書管理の実態は、一体どうなっているのだろう。

・・・・・・・・

 

そして、このヒアリングの後、いくつかの紙ベースの文書が、前触れもなく新たに公表された。

 

 

出てきた文書は、
①2011年から13年までの契約・発注額などを示した表
②2014年から19年の招待者の内枠を示した表
の2種類である。

 

なぜ今ごろ?
年代も中途半端だし、内容も中途半端だ。
政府が、都合のいいものだけ選りすぐって公表したとしか思えない状態とタイミングだ。

 

①については、内閣府官房総務課のどこか隅っこから、「平成〇年 桜を見る会」というネームをつけたドッチファイルに入った形で発見されたのだという。(発見ねえ・・・)
ファイルの厚さは10㎝くらいだそう。
5年保存文書なので、文書管理簿にまだ記載があるのに「5年以上前なのでもうないだろう」と、探そうともしなかったものが、「たまたま」発見されたのだとか・・・。

 

逆に言えば、2014年から2019年までは、この「平成〇年 桜を見る会」の契約書等のファイルは、あるわけだ。
実はこれ、すでに宮本議員が国会で請求している。
その時のやり取りを合わせて読むと興味深い。

 

5年保存の「桜を見る会ファイル」提出できない内閣府
シュレッダーにかけられてしまった「招待者全員名簿」のデータはまだあるのか。 これが出てくれば、どの議員がどんな人を招待していたかということが明らかになる。 しかし、この攻防はまだもう少し長引きそうだ。 そんな中、名簿ではな...

 

②について。

 

宮本議員「私、人事課の小泉政権時代の決裁文書のファイルの中に(宮本氏が国立公文書館で発見)、②と同じ文書が入ってました。人事課からもらったんじゃないんですか?人事課と同じ作業を総務課がやってるんですか?総務課は、名簿を人事課からもらったんですか?」

 

へぇ、あのファイルにも②の文書が入っていたとはね。

 

この表を見れば、少なくとも2014年から19年にかけて、招待者の、どのカテゴリが激増したかは一目瞭然だ。
総理枠を置いて他はない。

 

スガ官房長官はこれまで記者会見で、総理枠は「約1000人」と繰り返してきた。
何を根拠にそう説明していたのか?
新文書には、「各界功績者(総理大臣等)」という枠で、8894人という人数が示されている。
似ても似つかぬ数字だ。

 

このおかしなタイミングで出てきた文書、①に関しては、これによって政府は、2011年12年に中止になった年の開催準備が、相当なところまで進んでいた、つまりだからこの年の(民主党政権時代)の中止になった年の招待者名簿が文書管理簿にないのはおかしい、という無理なロジックを引くための伏線に使いたいのではないかと、筆者は想像している。

 

②の、招待者枠の内訳人数表を出してきた理由は、今のところよく分からない。
これを出したことによって、むしろツッコミどころが増えてしまった気がするのだが。
ただ、政府がむざむざ利益のない文書公開をするはずがない。
きっと、今後出てくる自作シナリオの伏線に使うつもりでいるのではないかと思う。

分厚いファイルの中から、それぞれこの一枚を公開対象とした意図はどこにあるのか?
招待客の枠表に関しては、それがよく分からない。

 

にほんブログ村 政治ブログへ