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「桜を見る会」の何が問題か分からない人たち

「桜を見る会」の問題を取り上げた「サンデーモーニング」で、司会の関口氏から出たコメントがネットで紹介されていた。

 

今回の問題に司会の関口宏は「ちょっと若い人と話したんだけど、何がいけないんですか?っていう子がけっこういました」と明かし「よくわからないんでしょうね。何に抵触するか」とコメントしていた。
(2019年11月17日報知)

 

まさか、と思った。
安倍応援団としてワイドショーやニュース番組にコメンテーター出演している、タレントや識者まがいの人物が、「桜を見る会」があたかも軽い問題であるかのように発言するのは、意図があってのことだ。
そういうポジショントークは、ある意味で理解できる。
ただ、一般の人までがまさかそんなことは・・・と、すぐには信じられなかった。

 

ところが翌日、朝日新聞の世論調査のこんな結果が掲載された。

 

首相主催の「桜を見る会」に安倍晋三首相の支援者が多く招待されていたことについて聞くと、
「大きな問題だ」が55%で、
「それほどでもない」39%を上回った。
(2019年11月18日朝日新聞)

 

「大きな問題」と考える人が多いのは、安堵すべき点だが、それにしても「それほどでもない」が39%というのは、異様な高さだと思う。
こんなに分かりやすい、饗応、買収の案件に対して「それほどでもない」とは、いったい総理大臣という職をなんだと思っているのだろう。
公職選挙法に触れるか触れないか、と野党が安倍首相をつるし上げるネタだとでも思っているのか?
こういう人は、公選法の「饗応」がなぜダメなのか?
どういう根拠で法律が禁じているのか、理解していないのだろうか?

 

そんなことを考えているうちに、下関市長の驚くべき発言の報道が目に入った。

 

前田晋太郎市長は18日、「70歳、80歳のおじいちゃん、おばあちゃんたちがうれしそうに新宿御苑に向かう。ものすごく地方に元気を与えてくれる会と思っている。そんな名誉なことを受ける方々が増えていくのは悪いことなのか」などと述べた。・・
「意外と中身は質素で、そんなに過剰に振る舞っているわけではない。必要最小限と思うし、そこにまったく違和感はない。総理大臣にある程度の権限が与えられていい」・・
「問題として取り上げられていることを解決してもらって、再開してもらうことが日本にとっていいことではないか」
(2019年11月18日朝日新聞)

 

安倍首相の秘書の経験もある前田市長。
安倍氏を擁護したい立場は分かるとしても、この発言、気が触れているとしか思えない。

 

高齢者が喜ぶのなら福祉の一環とでも思っているのか。
そして、そんなことで「地方が元気」になると本気で思っているのか?
ていうか、「地方」が下関市限定というところに疑問はないのか?
名誉な方々が増えていくのが、なぜ安倍首相の選挙区限定なのか?
中身が質素とは、金額にすれば大したことはないという意味か?
総理大臣のある程度の権限とは、首相を輩出した選挙区は、そのくらいのことを享受して当然ということか?
そうかと言って、下関市の住民全員がその恩恵に授かっているわけではない。
「また次の選挙でも応援してください」という、公費を使った支援者の買収に他ならない。
さらに、この買収行為を「再開」することが、「日本にとっていいこと」と、もう何から何まで無茶苦茶だ。
ツッコミどころがありすぎて、息切れがしてきた。

 

まぁ、下関市長はエクストリームで、気が触れていると言っても差支えのないレベルのトンデモだが、いろいろとネット界隈を探索してみると、桜を見る会の問題が「それほどでもない」39%の中には、意外と普通の人がいる。
知識が足りないために判断がつかないということではなく、十分な知性・知識を持ちながら、これをそれほど問題と思わないのだ。

 

日ごろから、ブログなどで、経済問題や社会問題を取り上げ、それなりに見識のある分析やまとめをして発信しているような人でも、これの何が問題か分からない、くだらないと言う人がいるのだ。
個人的な感覚だけど、30代以下の若い人に多い気がする。
最初に挙げた、関口宏の「何がいけないんですか?っていう子がけっこういました」という話は、たぶん本当だと思う。

 

私なりに彼らの思考を理解しようと努めてみたのだが、なかなか難しい。
あれこれ考えた上での推測だが、彼らは「公正さ」ということを理解していないのではないだろうか?
公正でない選挙運動をして議員となった人が、公正な行政を運営するはずがない。
公正でない行政が、社会にどういう害をもたらすか。
そういう感覚・想像力が足りない人が、若い層に増えているのかもしれない。
教育のせいか?
しかし、中年以上の世代が、学校などで特にそういう教育を受けたことはないと思うのだが。

 

有権者に「公正さ」の重要性が分からない人が増えているのならば、政治の劣化そのものより深刻であるかもしれない。
「公正さ」が分からない人は、公正な人を選挙で選ぶことができないからだ。
公正さが分からない民は、公正でない議員を選び続け、なぜ世の中がよくならないのかと、公正さに欠ける社会で延々ともがき苦しむ。
そんな地獄絵図しか思いつかない。

 

このブログの訪問者は、中年以上という人が多いそうだ。
身近な若い人に、「公正」ってなんだろう、と話しかけてみてはどうか。
あなたの一言が、世直しの第一歩になるかもしれない。

 

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