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道徳とサムライと安倍晋三

私はドイツに住んでいるけれど、日本国籍を保有する子供が二人いるので、ドイツの学校に通っていても、申請すれば義務教育の間は日本の教科書を無料で受け取ることが出来る。
そんな制度を使って、小1から日本の全教科の教科書を受け取っているが、最近私が学習もの以外で気にしている教科が「道徳」だ。
教科書というのは、その年頃の子供が身近にいないと、たとえ日本に住んでいてもなかなかお目にかかる機会がない。
政権が道徳に手を突っ込むようになって、どんなことが起きているのか、紹介したいと思う。

我が家で道徳の教科書が手に入るようになった時期(小学校高学年)と、自民党が「道徳」に手を突っ込み始めた時期がちょうど重なっている。

小学生用を読んだときの印象は、「郷土や国を愛する心を」「集団における役割と責任」なんていう「愛国」と「全体主義」を思わせるストレートな見出しがいくつもあって、「なるほどな、これか」と思ったものだった。

自分が学校時代を終えて以来、教科書なんてものに関わることはなかったので、数十年の間どんな変化があったのかはよく知らない。
ただ、私の小学校時代(もちろん昭和)の道徳の教科書といえば、「正直」「反省」のような精神に、重点を置いたテーマが多かったように思う。しかも、「教科」として認定されておらず、通知表に成績が付くこともなかったので、教師側の扱いもかなりぞんざいだった。

この度、中学生用を手に入れて、早速読んでみたのだが、その内容は小学生用よりも、はるかに直球で「愛国心」を煽るものにパワーアップしていた。

教科書内には、いろんな短編読み物を読ませた後に、「日本のよさを考えよう」「日本の大切な文化を考えよう」など、日本について「いいところ」を考えさせる課題が何度も出てくる。
私はこんな教育は受けていないが、「日本のいいところ」なんて教えられるまでもなく知っているし、外国に住んでいる日本人はたくさんいるが、それぞれが言う「いいところ」は、必ずしも同じものではない。

なんというか、「日本はいい国なのです」ということを、教育をもって教え込まなければ、「いい国だ」と思う人がいなくなるという政府の焦りでもあるのだろうか、と疑ってしまう。

そして挙句には、「サムライ」とか「武士道」という言葉を持ち出し、これを「日本独特」「素晴らしい」という前提で、紹介するのだ。

『どうして、サムライは愛され、尊敬されるようになったのでしょうか。それは、サムライの心を持った人たちが武士道という生き方をつらぬいたからです。』(中略)
『困ったとき、悩んだとき、サムライはどうやって自分の行動を決めていたのか。彼らが歩いてきた道は、今も私たちの行動のヒントになるはずです。強くて、やさしくて、かっこいい生き方を、これから菊千代(文中の登場人物)と学んでいきましょう。』(東京書籍・新しい道徳2より引用)

ちょっと信じられない人もいると思うが、これが教科書にママ書いてあるのだ。

「愛され、尊敬される」サムライとは、いったいどんなサムライを想定しているのか?

私はアイコンからも分かる通り、相当の時代劇好きなので、チョンマゲ、チャンバラは大好物なのだが、ファンタジーと割り切っている。
大岡越前も遠山の金さんも、歴史上実在した人物をモデルにとってはいるものの、あの台本が「本当にあった話」などと思ってはいない。
教科書に、「サムライが強くて、やさしくて、かっこいい」と書いてしまう関係者は、何かに当てられているのだろうか。

司馬遼太郎の幕末小説を、完全なる「史実」と信じ込んで、そのディテールすべてが実際にあったことと誤解する危うさに、なにか似ている気がしてならない。

そして、「菊千代と武士道を学んでいきましょう」を引き継いで、この菊千代が「父上」と、武士道について語るというシナリオ形式で話が進むのだが、その会話の内容というのがまたズッコケる。

「お年寄りに席を譲るべきか」と「アフリカの恵まれない子供への募金について」である。

このテーマを語るのに、わざわざサムライにする意味が分からない。
そもそも、武士道とほとんど関係がない。

これでは、道徳の教科書というより、思想の教科書という方が実態が近く、しかも筆者が現実とフィクションをかなり混同しているという点で、危うさを感じる。

「サムライが、武士道が、強くて、カッコイイ、優しい」なんて、フィクションを教科書に書いて、いったい子供をどう教育しようとしているのか。
そんな矢先に、自民党が、こういう新キャンペーンを打ち出した。
こんな画像で。

安倍晋三がサムライになっている。
強くて、やさしくて、かっこいい、サムライに。

これをヤベーと言わず、なにをヤベーと言うか。

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