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「桜を見る会」のなにが悪いのか 最大の問題点をまとめてみた

「桜を見る会」の何が悪いのか。
これまで18本の関連記事を書いてきたが、国会や野党ヒアリングを視聴して得た、どちらかというとマニアックな内容が多かったので、今回はもっと全体を俯瞰した視点で、「桜を見る会」を出来るだけ分かりやすく解説しようと思う。

 

「桜を見る会」問題は、実はひとつではなく、とても多くの問題をはらんでいる。
その中でも、「核」となる問題点を分かっていると、枝葉の問題もよく見えるようになってくる。

 

まず、安倍首相が800人もの後援会メンバーを下関から招待していたこと。
これは、安倍首相に限らず、自分の選挙区から後援会を招待していた他の議員も同様である。
国会議員が、地元選挙区で選挙権を持つ人を対象に、誰もが参加できるわけではない国家行事に「特別に」招待することがどう問題なのかは、説明するまでもないだろう。
一票の代わりに、その人しか恩恵を受けられない「なにか」を提供するのだから、いいはずがない。

 

後援会を招待したことの問題は、選挙問題だけにはとどまらない。
「桜を見る会」は、各省庁から推薦された功労・功績があった人を招待して開催されるというのが、政府の公式の「桜を見る会」の要項、「主旨」だ。
つまり、そういう前提で国家予算が組まれている。
なるほど、価値のある行事ですね、ではいくらいくらの予算を組みましょう、と。
ところが、フタを開けてみると、その開催主旨からは大きく外れて、「各省庁から推薦された功労・功績があった人」には当たらない人たちが大量に参加していた。
これは、「予算」という視点から見れば、違う用途に流用されたと言っても過言ではない。

 

さらに付け足すと、「政府」はこのイベントのために約1700万円の予算を設定しておきながら、2000万円、3000万円、2019年には5000万円越えの支出をし、「オーバーしちゃった、てへ」という程度で済ませている。
国会で決められた予算を無視して支出する、という行為も、国家としての危うさに他ならない。

 

そこで、そうした予算・決算をチェックするためにも、関連文書を出してくれ、と要求する。
・全体で、どういう支出になっているのか?
・開催要項(イベントの主旨)は、どれほど守られているのか?
などなど、こうしたことを、この業務で発生した「書面」を出してもらって、チェックしましょうという話だ。
こんなことは、国家運営では言うまでもないが、ふつうの会社を経営するのにも、ふっつーうに要求されるプロセスだ。

 

そして現在、政府は「桜を見る会」に関連する公文書は一切出していない。
世間では、名簿のことばかりが言われているが、名簿だけではない。
イベント開催するにあたって、業者に払った経費の見積もり・領収書の類や、公務員を現場に向ける指図をした届けなど、こまごまとした「業務」に絡む小さな書類たちをまとめた「桜を見る会・関連文書ファイル」、こうしたものまで頑なに隠してみせないのだ。

 

このように、社会が機能するのに、最低限のことが出来ていないのが今の政府だ。

 

もし自分が社長さんで、社員たちが営業予算を無視してオーバーする、目的以外に予算を使う、その明細を出せと言っても言うことを聞かない、そんな状態の会社を経営出来るだろうか?

 

私たちは、「政府」のオーナーなのである。
政府は国民からの税金を預かって、「国民全体に利益をもたらす最良の方法」とされる使い道を決め、支出することが求められる。
民主主義国家の収支とは、大まかに言えばそうしたものであるはずだ。

 

ここで冷静に考えなければならないことは、国家のオーナーとしてチェックを入れるのは、野党議員なのか、という点だ。
前にも述べたが、政府のオーナーは私たちなのである。
野党議員ではない。(彼らも『一国民』としてはオーナーであるべきだが)
だから、テレビやマスコミの言葉の使い方には、注意しながら聞く必要がある。
この問題に関して、「野党が」という主語を好んで使う報道は、多くの国民に、与党vs野党のゲームであるかのようにミスリードをする。

 

「桜を見る会」の一番の問題点は、「公文書」のあり方を問う点だと思う。
分かりやすく例えると、社長さんが、与えた予算の明細、支出で得たなんらかの効果、を書面で報告しなさいと、社員に要求する、ごく当たり前のプロセスだ。
「公文書問題」などというと、堅苦しく難しいものに聞こえるが、基本的な考え方は、大人ならごくごく当たり前のように、日常の社会で行われていることにすぎない。

 

もし社員が、「明細は捨てた」「なにも分からない」と言ったら、あなたはどうする?
社員があなたを無視し続けて、日にちが経って、年が明けて正月が来たら忘れてしまうだろうか?
そんなことはないはずだ。
間違いなく、その社員にお引き取りいただくことになるだろう。
たとえ、人当たりがよく、仕事ができる社員だったとしても、そんな人を抱えておいては会社が立ち行かない。

 

それと同じことを、国民は政府に対してやらなければ、この「社長さんの会社」と同じ行く末が、この国にも訪れるということなのだ。
桜問題を取り上げる「野党」というのは、たまたま現在の政局の図式がそうなっているというだけで、こういう当たり前の主張をする人が、自民党内から出てきても、全く違和感はない。
いや、むしろそのほうが正常だし、あって当然だと思う。

 

国民がいま一様に考えなければならないことは、野党か与党か、ではなくて、「オーナーに報告も出来ない社員」のような政権・閣僚には、お引き取りいただきましょう、という感覚だ。
その代わりが、いないはずがない。

 

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