2019年2月5日、予算委員会、立憲・西村智奈美氏の質疑で、安倍首相との気になるやり取りがあったので、ピックアップしてみようと思う。
それは、西村氏の質疑時間が大詰めに迫ったころだった
不正のあった政府の実質賃金の増減率を、実態に近い調査手法で計算し直すと、約0・5%マイナスとなる野党の試算を、根本大臣が事実上追認したときだった。
すかさず西村氏は、安倍首相に質問した。
西村氏「こういう状況で、消費税10%に増税をやるんですか?」
安倍首相「ここでですね、えーやはり、・・・」
安倍首相の答弁をそのまま文字起こしして臨場感を味わってもらうのもいいのだが、いたずらに分かり難くなるだけなので、ここでは、首相の言葉を端的に要約しようと思う。
首相が挙げた、独自の2例
例1「10人の事業所があったとします。そこの仕事が忙しくなって、パートを2人雇ったとします。しかし、パートなので賃金は、元の10人よりも当然低い。そこで総人件費を12人で割ると、一人当たりの賃金は下がる。ああ、忙しくならなければよかった、ということになる。」
例2「家庭で言えば、例えばAさんにはBさんというパートナーがいて、Aさんは50万円もらっていた。そこでBさんも仕事に就くことになったが、30万円の収入しか得られなかった。二人を平均はすれば40万円になったわけだが、これは下がったのではなく、家族の収入は80万円に上がったのだと考えることができる。同じことが実態経済でも言えるのではないか。」
西村氏がこれに対して言いかけるや否や、時間オーバーで野田委員長にさえぎられる。
不発感を伴いつつ幕が下ろされたのだが、安倍首相の引っ張り出したこの二つの例が、いつまでも気になった。
要するに安倍首相は
この2つの例で、「総雇用者所得は増えた」ということが言いたいのだ。
「総雇用者所得」が増えると、国民の生活に余裕ができるのか?
消費増税に伴う消費減退のダメージは、消費者にそれを受け入れるだけの余裕があるかどうかに大きく左右される。
そこで考えてみたいのは、果たして多くの人の生活に余裕ができたかどうか、ということだ。
安倍政権では、人口減少しつつも、労働人口は常に増え続けてきた。
背景には、高齢者の労働がある。
安倍政権になってからというもの、年金の支給開始年齢が後退し、額面も減る上に、介護保険、健康保険等の負担は大きくなった。
高齢者が働くようになった理由の多くは、「生きがい」「やりがい」なんかではなく、「生活」のためなのだ。
例1,2のお話で、たぶん語っている安倍首相自身も気付いていないと思うが、よく考えると、
「誰の収入も上がっていない」
ことが分かる。
例1の某事業所では、「忙しくなった」ということなので、アベノミクスのおかげで(?)業績が上がったのかもしれないが、それによって増えたのは「低賃金」の労働雇用なのだ。
笑ってしまうけど、これは本人も口に出して言っている。
「パートですから、当然賃金は低いわけであります。」と。
さらに言いたせば、もともと働いていた10人の職員も、忙しくなったことで給与が上がったわけではないところも、なかなかのミソだ。
例2の家族では、アベノミクスのおかげ(?)で雇用が増えたことで、パートナーさんは仕事にありつけたのだろう。でも最初に50万円の収入を得ていたパートナーより、明らかかに低い30万円しかもらっていない。
要するに、アベノミクスのおかげで増えた雇用というのは、ほぼ「低賃金の雇用」なのではないか?
安倍首相が自ら国会で語った、アベノミクス成功のモデルストーリーには、本人も気づかないところで、こんな実態も隠れていた。
くり返すが、西村氏の質問とは、「この状況で消費増税やるつもりか?」である。
安倍首相は、この二つの例をもって、
「国民の生活に余裕ができた」
と、言いたかったのだろうか?
もしそうだとするなら、あまりに偏った天上目線で、国民の実生活なんか、ほとんど見えていないということになる。