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「緊急事態合宣言」民間放送局に報道介入の可能性も否定されず

自民党の伊吹文明氏からこんな発言があった。

 

後講釈での批判とか不安をあおるような発言は、できるだけバラエティー番組も含めて自粛すべきだ。
大切なことは、一人ひとりが自己抑制と自己管理をしっかりすること。それをやらずに政府の悪口を言ったり、対応のまずさをあげつらったりしていては(状況は)よくならない。不安は不安を正当化し、悲観が悲観を呼ぶ。それが現実になっているのが株式市場だ。縮み思考にならずにやっていくことが大切だ。
(2020年3月12日朝日新聞)

 

この発言を朝日新聞は「不安あおる発言、バラエティーでも自粛を」という部分を見出しとして報じたのだが、もっと肝心な部分は、他にあると私は考える。
それは「政府の悪口を言うな」という部分だ。
政府なんていうのは、そもそもなにをしても多かれ少なかれ批判される存在なのである。
しかも、そうした批判を「悪口」という、極めて低レベルな次元に置き換えた感情的表現が、なんとも伊吹氏らしい。
この際だから、思いっきり悪口を言わせてもらおう。

 

伊吹文明はクソである。

 

日を同じくして、衆議院本会議では新型インフルエンザ等対策特別措置法改正案が、賛成多数で可決した。
共産党以外の野党が賛成に回ったことには驚いたが、山尾志桜里議員は最後まで抵抗して、いわゆる「造反」に回った。
信念を貫いた政治家に向かって「造反」とは、酷い言われようだ思うが、私は彼女の意思を支持したい。
国会承認という縛りがあったところで、少数の野党ではどちらにしても止められない、という意見も野党内にあったというが、たとえ結果的に止められなかったとしても、「反対する野党がいた」ということを最低限、記録に残すだけでも歴史的には意味があるのだ。
そんないい加減なところを落としどころにして、なんの野党か。
それでは、存在そのものに意味がない。

 

特措法に含まれる「緊急事態宣言」には、使いようによっては危ない点がいくつかある。
まずは、総理大臣が「思いついた時に」宣言できるということ。
山尾氏は、かねてよりここに「国会承認」という縛りをつけるよう要求してきたが、それは叶わなかった。
野党は、その部分を、なんの法的しばりもない「付帯決議」という端書きのような付け足し文を添えることで合意してしまった。
これで安倍首相は、なんの根拠もなしに思い付きで宣言を発することが、事実上可能になってしまったのだ。
そしてその期間は、2年という長さで、さらに何度でも延長できる。

 

そして、山尾氏が指摘する点で最も深刻だと思われるのは、この緊急事態において、「私権制限」の「私」の解釈の中に「民放」が含まれ、その放送内容に介入することを国会審議する中で、政府側が答弁で否定しなかったことだ。
黒川検事長の定年延長問題でも分かるように、法律の条文に書いていなければ、その立法姿勢がどうであろうと、好きなように法律を解釈してやりたいことは何でもやる安倍政権のことだ。
立法時に否定しなかったことを、しないはずがない。

 

今後、コロナウィルス対策や経済対策に行き詰って、安倍政権の支持率は危機的局面を迎える日が早晩来るだろう。
その時、前段で紹介した伊吹氏のような意思を持つ内閣が、「悪口」を合法的に止める手段に出てくることは、想像に難くない。

 

正常な思考能力が絶対的に欠けている現政権が、今回のような世界的なリアルな危機に直面した時、その能力のなさを露呈するだろう。
批判が高まれば、政権はその権力を維持することにガムシャラになり、何でも仕掛けてくる様相が手に取るように想像できて旋律を覚える。

 

これは取り越し苦労なのか?
7年間、安倍政権を見つめてきた私にとって、これは杞憂とは到底思えないのだ。

 

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