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統計不正の追及に「明確な証拠」なんか必要ない

森友・加計問題に続いて、政府の統計不正が、連日取り沙汰されている。
国会では、野党からの厳しい質問はあるものの、首相をはじめ閣僚、官僚たちは、ときには質問とは全く関係のない無意味な説明を並べ、その質疑時間をムダに消費し奪い続ける。
現場の事情を知っている官僚を、野党が国会招致しても、「理事会の決定」という与党の特権でブロックされる。

そんな風に、なかば無為に時間だけが過ぎている。

激しい既視感に襲われる。

そうだ、森友・加計問題、財務省の公文書改ざん問題でも、与党は全く同じ手法で、この事件を「時間の力」をもって国民の頭から拭い去ろうとしている。
残念ながら、この作戦が一定の功を奏しているので、今後どんな事件が発覚しようと、安倍政権はなんどでも同じやり方で切り抜けようとするだろう。

2月4日の国会・予算委員会では、過去数年間における「官邸の統計に対する意向とその態度」、またそれを「統計がなぞるように後からくっついていく」不自然なさまを、立憲・小川氏が明快に説明した。

統計不正、小川淳也氏の質疑で見えてきた筋書
2月4日の予算委員会。 205分を1.5倍速でなんとか全部聞き終えた。 トップバッターの質問者、立憲・長妻氏の投げた最初のテーマ「大西・前政策統括官を参考人として呼ぶことを理事会が拒否」というところで、ああ、これはかなりクロに近付い...

この記事は、内容に驚いた人も少なくなかったようで、私のブログの規模としてはケタ違いの反応を集めた。
そのせいもあって、これに相反するする反応・・・まぁ、ズバリ言えば「クソリプ」も多く見られた。
その中には、「悪意に満ち満ちていないタイプ」もあって、そこに、日本人の無意識の思考経路が見えたような気がしたので、紹介したい。

主な主張は
・明確な証拠がない
・動かぬ証拠を突き付けられない野党がだらしない
というものだ。
中には「疑わしきは罰せず」とか「状況証拠」「物的証拠」などと自論をぶつ、事情通ぶった反応もあった。

ちょっとマテ。

私たちは、いつから裁判官になったのか?

国会は刑事裁判ではないよ。

「罰せず」って、国会は閣僚を罰するために開かれているわけじゃない。

国会では「税金の管理を任せる資質があるか」という選択をしているに過ぎない。

手クセの悪い人間に、わざわざ経理部長を任せないのと同じ理屈だ。
「疑わしきは罰せず」という考え方は、国会では当たらない。

また、質疑をするのに、「十分な証拠」なんかも要らない。
「疑いの余地」程度で、十分なのだ。
そもそも、「公文書」というものが厳格に管理を規定されていることや、官僚がなんでも文書化して残しておこうとするのは、そのプロセスを疑われたときの「証拠」を残すためだ。
本来、その証拠は政府側にあってしかるべきなのだ。

国の予算運営に、ちょっと不審な点がある。
「ここは、いったいどういうワケで、こうなのですか?」
と、国民は疑問を投げかける権利がある。
当たり前だ。
野党はそれを代弁しているに過ぎない。

そこで政府・与党は、必要があれば文書なり統計なりを開示して、
「見てください。こういうワケで、こうなったのです。不審な点はありません。」
と、国民が納得する答えを出す義務がある。

確固たる証拠をもって反論しなければならないのは、野党ではなく与党なのだ。
当然だよ。
でも、多くの人が、この当たり前を巧妙にすり替えられることで、まるで裁判であるかのような誤解をしていると思う。

この統計不正を例にとっても、「不正を疑われている」与党が、担当した官僚(大西前政策統括官・他)を国会に招致して、自分の仕事に一点の曇りもないことを証明する義務があるのだ。

今回、与党はなにをしたか?
与党理事が大半を占める「理事会」で、この大西氏を「国会に呼ばない」決定を下したのだ。
なぜか?
それは、誰が考えても「やましいことがある」に他ならない。
他にどんな言い訳があるだろう。

やましい人間に、国家予算は託せない。
では、代わりを探しましょう、というのが、本来の流れだ。
なにを好き好んで、手クセの悪い経理部長をいつまでも使うのか。

総理大臣は、国の「象徴」ではない
なり手なんか、いくらでもいるのだ。
適した人物が現れるまで、1年おきでも2年おきでも取り換え続ければいい。
これまでもそうして来たように。

 

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