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「桜を見る会」ヒアリング、やはり焦点は「公文書」

年の瀬押し迫る12月26日、第19回目の「桜を見る会」野党追及本部ヒアリングが行われた。
今回は2時間と長いのだが、今年最後のヒアリング、なるだけコンパクトにまとめようと思う。

 

最初のテーマは「前夜祭」。
ニューオータニで800人以上が招かれたやつだ。
これを官僚に糺すのは、少々迂回とも思われるが、国会が閉会中で安倍首相に直接質問をぶつける機会がない以上、これは仕方がない。

 

この問題の最大の謎は、参加者に800枚以上配られたはずの2019年の「ニューオータニ」名義の領収書が、下関市からひとつも現物が出てきていないこと。
これが「偶然」見つからなかっただけなら、手書き領収書冊子の控えの部分をホテルが持っているはずなのだが、ぜひともそこも請求してもらいたい。

 

さらに今回は、安倍後援会が毎年開催している「新春の集い」というものがあって、これは政治資金収支報告書に毎年キッチリ記載されていることが明らかになった。
「新春の集い」は記載があって、なぜ「前夜祭」の記載がないのか?
前回のヒアリングで、内閣府が庁費を内部でやりくりして余剰金を捻出できることが分かった以上、内閣府が出しているのではないかと国民目線では疑いたくなる。
ヒアリングでは、総理の「議員としての」活動には回答できないの一点張りで、進展はなかったが、官僚たちがこの件を明らかにすることに「全く協力する意思はない」ということは、よく分かった。
そして「前夜祭」に関しては、今後ホテルの明細書の公開が必須になると思われる。

 

次は、10月28日に「桜を見る会・招待者名簿」の保存期間を記した「保存期間表」というものを、園遊会など他の国家行事の招待名簿と明確に区別して、「桜」の名簿を指定した上で「1年未満」と不自然に明記しなおしたこと。
内閣府人事課長という文書管理の担当者が、とくに理由も示すこともなく「随意に」変更できるシステムだというのが返答なのだが、それが本当ならルールそのものが問題だ。

 

しかもこれのなにが怪しいかというと、25日に田村智子議員が内閣府に「桜」についてレクをお願いしたのち、週明け月曜の28日に変更がされている点だ。
宮本議員が、5月9日に名簿を請求し、同日午後に名簿がシュレッダーにかけられたのと同様、まずい請求があったときは、即座に反応して証拠隠滅に走る姿があまりに赤裸々で、政府の腐敗ぶりが手に取るように分かる。

 

この「保存期間表」の変更が、法令に則って行われたものなのか、野党はその規定と変更の報告についての公文書を改めて請求したところ、酒田課長の回答は「文書の有無を確認する」というものであった。

 

改正の根拠も結果も文書にしないで変更したならすごい話だ。
無法地帯かよ。

 

これが、19回のヒアリングで、毎回官僚が行ってきた牛歩戦術の典型である。

 

さて次は、石垣のりこ議員が1か月半にもわたって請求しているサーバ仕様書と業者との業務契約書。
そもそもこんなものをなぜ請求するかというと、データ上で破棄した名簿が記録媒体のどこかに残っているのではないか、復元できるのではないか、さらに突き詰めれば、データを消去したこと自体がウソではないのか?という観点からである。

 

要するに「名簿」が提出されれば、これらの書類はどうでもいいのだ。

 

笑ってしまうのは、酒田課長はこれらの書類の提出に関してこれまで「セキュリティ上の・・・書類内容の精査が・・・まだ時間がかかる・・」という言い訳を続けてきたのだが、前回のヒアリングで「セキュリティ上の助言をNISC(内閣サイバーセキュリティセンター)に求めているが、回答待ちである」という「人のせい」作戦に出た。
ところが、「じゃ、NISCに言っておきますよ。私、大臣時代からよく知ってるから。」という原口議員の決め言葉で、一気に提出となった。

 

子どもかよ・・・。

そんなこんなで、どうも安倍首相も答弁で使った「バックアップは8週間まで」というのは、庁内の職員によるバックアップの話で、外部遠隔地にある非常用データセンターには、名簿のデータが残っている可能性が出てきた。

 

そりゃそうだろうよ、ふつうに考えてそうだよ・・・。

 

そして質問は招待枠「60」番の件に移る。
ここで、毎回答弁している官僚の、公文書に対する態度が良く表れているやり取りがあった。

 

川内議員「この前総務課長さんは、国立公文書館に移管している文書について、60番は総理「かも」知れないと仰った。政府の文書ですから、これは政府として『60番は総理である』と断定しなければならないんです。それを断定できないのは自分(が作成した)ではないから、そう言ったんでしょ?違いますか?」
酒田総務課長「ここに書いてあることについて、肯定も否定もする材料を持っておりません。」
川内議員「いやいやいや!政府として!政府が書いた文書なんですよ。それをアナタ、政府が書いた文書を私は説明しませんなんてのは、あり得ないでしょ!」
黒岩議員「ねえ、課長、公文書館にあるのよ。その辺の道で拾った文書と違うんだから。」
酒田総務課長「ですから、平成17年につきましては、こういうふうな区分でやっていたのかなぁ、と」
黒岩議員「じゃあ、肯定しなきゃ。」
柚木議員「やっていたのかなぁ~、じゃなくて、やってたんですよ!」
田村智子議員「やっていたことが記録されていると答えるべきでしょ。」
川内議員「60番は総理枠であると断定していいですね。断定しますよね。」
酒田総務課長「平成17年においては、そう言った区分でやられていたんだろう、と。」
川内議員「『だろう』じゃない。やっていた、ということでよろしいか、と聞かれたら、そうですと言わなきゃいけないでしょ?歴史公文書なんだから。」

 

国立公文書館から出てきた公文書に対して、「そう書いてあるのだから、おそらくそうだったのでしょうねぇ。」なんて正式答弁があるだろうか?
一国の中央政府の官僚と言われる人たちが、正式な公文書と自分の発言の間にこれほど距離を置こうとする理由はなんだろう。
文書というのは公務員にとって、悪いことをすればその裏付けになるが、逆に法に則って正しく行動していたという証拠にもなる。
官僚にとって「文書」という存在が以前とは変わってしまったのか、それとも日本政府の「文書」というものが、それほど信用に足らないものになってしまったのか?

 

森友事件で起きた改ざん問題で、文書に関する省庁のモラルをキッチリ仕切りなおさなかったツケが、今こうしてめぐってきているような気がしてならない。

 

※追記(2019年12月28日)
宮本議員が名簿請求した日にちが11月8日となっていました。
正しくは5月9日です。お詫びして訂正いたします。

 

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