スポンサーリンク

【桜を見る会】またしても官僚の文書隠ぺい

14日、野党による「桜を見る会」に関するヒアリングを視聴した。
官僚に、野党議員がなにをヒアリングするかというと、最終的にはいつも「公文書」である。
これは、いままでの安倍政権のさまざまな問題で行われてきたヒアリングと同様で、最終的には「文書を出してください。」となる。
当たり前の話で、それがなければ官僚なんて、いくらでもデタラメを説明できることになる。
しかしこの「公文書」が、なかなか出ない。
これは現政権での最も大きな問題である。

 

今、野党が明らかにしようとしているのは参加者人数の内訳だ。
2019年は、1万8千人が参加したことはすでに明らかになっている。
では、各省庁からの推薦は、何人だったのか。
(1万8千人)ー(省庁からの推薦数)=省庁の推薦とは関係のない人数
が、算出できる。
もしくは、各省庁の人数とは比にならない、大量の推薦者が内閣府から出ているのかもしれない。
各省庁からの推薦者リストを出してもらうのは、こうした概算に非常に有効なデータになる。

 

文科相、総務省など、内閣府以外の省庁では、この「被推薦者リスト」の文書を保存10年と規定しているそうだ。
これは、園遊会の招待とか、各種表彰だとか、そうした人の名簿を「栄典に関する文書」として10年保存の規定がされているという。
で、内閣府だけは、「1年未満」。
なんなんですか。

 

代表として会場に来ている内閣府の官僚によれば、「取りまとめ」の書類に過ぎないから、1年未満で捨てる、と。
まぁ、100歩譲って、「取りまとめ」のリストを捨てたとしても、推薦レベルのリストはあるはずだ。
他省庁と同様に、内閣府からも一定の被推薦者リストを出しているはずだからだ。
すると、推薦をする部署は、内閣府の中でもまた違う部署なので分からないなどと言う。

 

子どもの使いか。
これが店なら「アンタじゃ分からん、店長を出せ」と言われるところだ。

 

そして、文科相、総務省などの内閣府以外の省庁らに、その10年保存の「被推薦者リスト」を出せというと、各省庁の代表らは口を揃えて「内閣府と相談して、足並みをそろえて提出について考える。」などと、わけのわからないことを言う。
各省庁が各管轄の責任で処理している問題なのだから、「足並み」など揃える必要はないと思う。

 

ちょっと面白いやり取りがあったので、書き起こしたい。

 

原口議員「あなたたちにとって『1年未満』っていうのは『即座』と一緒ですね。桜を見る会は4月ですよね、今は11月ですよね。もうないってことは、皆さんの1年未満ていうのは、7,8,9か月とかじゃなくて、即座に捨てる、とそういう解釈なんですね。」
官僚「まさに仰る通り、桜を見る会につきましては、個人情報等・・・(以下略)。」
原口議員「じゃあ、今みなさんに言っておきたい。文科省も総務省も内閣府も、みなさん、桜を見る会の文書は出てきても、今後は捨てないでください。お願いします。捨てないでください。

 

とても、国会議員と官僚のやり取りとは思えない。
「公文書」って、国会議員が「捨てないでください」なんて真摯にお願いしないと、残らないものなのか?

 

奥野議員「(今年の桜を見る会の名簿は)いつ捨てたんですか?」
官僚「5月9日です。電子データもだいたい同時期に削除しました。」
奥野議員「桜を見る会は4月13日、ひと月とっといたんですよね?なんで?」
官僚「・・・」
奥野議員「個人情報が漏れると危ないとか言って、本当に危ないのなら、その日のうちに消去しなきゃ。」
宮本徹議員「私、5月13日にこの問題を質問しましたよ。そのために、事前にいろんな情報を教えてくださいと言った。内閣府は全然教えてくれませんでした。私が質問の準備のために聞き始めたから捨てたということなんじゃないですか?
官僚「そんなことはありません。用途が終わったからです。」
宮本徹議員「桜を見る会は4月13日、5月9日までだいぶあります。すぐに捨ててるわけじゃないんですよ。私が、質問をするために内閣府の皆さんに聞き取りを始めたタイミングじゃないですか。なんで、そのタイミングで捨てるんですか?」

 

野党議員が関心を持ち始めた。マズい・・廃棄しよう、ということか。
毎日いろんな真実が出てくる「桜を見る会」だけれど、今日一番驚いたのはこれ。
官僚が、よってたかってウヤムヤにする。
文書を作るのも官僚なら、保存するのも官僚、廃棄するのも官僚だ。
これまで起きた、森友問題、加計問題、統計不正、なんだかもう思い出せないその他もろもろ。
みんなこうして、文書廃棄で事実が分からなくなる。
今回の桜を見る会の問題だけが、これまでよりも詳細に明らかになったのは、一次資料がネット上にあって、官僚が破棄できなかったからだ。

 

「桜を見る会」問題が、今までのスキャンダルより一般人に浸透しているのは、多くの芸能人を呼んでド派手にやっていたことが、4月にすでに、首相の誉れかのように大きく報道されていたからだ。
「桜を見る会」は、ほぼ全国民が承知していると言っていい。
そこで、首相自ら地元後援会を呼ぶという「饗応」を行っていたことが、非常に分かりやすい首相の過ちとして、大衆にも広く理解されている。
多くの人に問題を知ってもらうには、逆に、このくらい問題の構造が簡単でないと、なかなか難しいのかもしれない。

 

しかし、文書管理の崩壊は、国民が「国が何をやっているのかわからない」状態を引き起こす。
そういう国が、これからどういう道を進まざるを得なくなるのか。
この国の将来を考えたとき、この国家・政府の「文書の扱い」を放置していたら、必ずや衰退国家に導くことになる。
少なくとも、そういうことを理解するに足る知性を持つ人は、このことを真剣に考える義務が、一国民としてあるのではないかと思う。

 

にほんブログ村 政治ブログへ