統計不正問題の国会審議がひどいことになっている。
この問題は、どれだけ質疑を重ねても、決定的な証拠が出てきて解決することはない。
裁判ではないのだ。
それをいいことに、安倍首相は、時にはこらえた笑いを噴き出すように笑いながら、
「撃てるものなら撃ってみろ」と防弾ガラスの向こうから、アッカンベーをするような態度で、答弁する。
見ている方も耐えられないものがある。
野党議員は、つかみかかることもなく、よく冷静に対応しているもんだと感心する。
そんな国会の情景を、時事通信が報道するとこうなるらしい。
(2019年02月25日時事)
この記者は、本当に国会を傍聴して記事を書いたのだろうかと、疑いたくなる。
あれが「平行線」なのか?
決定的な証拠や供述が出るか出ないか、という点では確かに平行線だが、
ここは、法廷ではない。
国家運営のプロセスに、問題があるのではないか、という話を、「国会」でしているのだ。
プロセスが正常であったかどうかを証明する責任は、与党側にあるのだ。
時事通信社の記者は、毒でも食らったのだろうか?
午後7時36分、東京・銀座の鉄板焼き店「銀座うかい亭」着。時事通信社の大室真生社長、渡辺祐司常務取締役らと会食。
アハハ、食らってた。
笑い話にもならない。
ここで、注目度が急上昇中の小川淳也議員の激しい抗議を紹介する。
「なぜ私どもが、官邸の関与を問題視しているか。民主主義の仕組みがあり、そして法治国家の仕組みがあります。
そして政府の担当官はすべて、法律に基づく職務権限を行使しています。
これには当然表裏一体のものとして、説明責任と結果責任を負うことが決まっています。
これによって、手続きの透明性を確保し、そして結果の妥当を帰す。これが民主主義であり、法治国家が前提としている価値なんです。
ところが安倍政権になって、特に2015年頃から、国有地の処分、学校法人の認可、統計制度の変更、すべてにおいて、本来、職務権限がないはずの総理秘書官が暗躍しているケースが目立つようになった。」
彼が言うような、当たり前の民主主義の理念が、すっかり消えてしまったのが、今の日本の政治なのだ。
続けて、
「彼らは、権限がないんですよ。ということは責任を負わない人たちなんです。
責任を負わないにもかかわらず、事実上の影響力を行使して、さまざまな処分に影響力を発揮し、政策の変更に口を出し介入してる。
このこと自体が、民主主義なり、法治国家にとっての脅威だ。挑戦だ。そういう意味で問題視をしているわけです。
(略)手続きの適正を帰すことが、この国の社会の前提なんです。不透明な介入や政治的影響力を、責任のない、権限のない人たちが事実上行使することは、大問題だと言っている。」
細かい事実の積み上げ議論の中で、タイミングを見計らって、こういう「正論砲」を打ち込んでくるのが、小川氏のスタイルだ。
今まできちんと国会を見てきた人ほど、国会での「筋の通った正論」に飢えているので、こういう言葉に激しく共感する。
お口汚しで申し訳ないが、ここで本邦首相の無知極まる答弁を。
「総理大臣秘書官というのは、何の責任もない・・そんなことありませんよ!!
総理大臣を支えるっていう、とっても大事な責任があるんですよ。
使命感を持って夜遅くまで働いていますよ。
全く責任がないかの如きの言動というのは、驚くべき発言であって。
民主党政権時代の秘書官って、みんなそんなつもりだったんですかね。
(ここでわざと大声で笑い声を立てる、演出担当議員が与党側にいた)
文脈の「責任」という言葉を全く理解してない。
そりゃあんた、小学校の生き物係にだって、責任はあるよ。
「そういう話をしてるんじゃないよ」という答弁が、非常に多いのが安倍政権の特徴だ。
世の中には、国会中継を見ずに、ニュースを見て「野党がだらしない」という思い込みをしている人が多い。
映像全体を見ればすぐわかることなのだが、多くの人に、それだけの時間はない。
そのために報道があるはずなのだが、
「毒」を食らったマスコミが、「成り立たない議論」を「平行線」などと書くので、多くの人は「野党がだらしない」と信じてしまう。
この状況は、いったいどこから打開できるのだろうか。