5月25日、緊急事態解除のための首相会見が官邸にて開かれた。
いつものように数値の裏付けがなく、雄大な形容詞が連なる、聞くに値しない内容だが、記録を兼ねて、ツッコミどころをピックアップして紹介する。
まずは、緊急事態が解除されるくだり。
「ほぼ収束」などと言ってしまっているが、このあと、第2波とか引き続き自粛などと、まるで気が抜けない状態が続いていることを示唆していて、ここで「収束」などと言う言葉を軽々しく使っていいものか疑問を感じる。
また、「日本モデル」などは存在せず、政府が無能でまるで打つ手がなかったので、結果的に国民の一人一人が不自由な生活に耐え、自衛した成果がものを言っただけの話である。
そういう意味で「日本モデル」とは、国民の側から言うことはあっても、無能だった政府が自分の手柄のように言うのはおこがましい。
出マシタ。「事業規模」
これに騙されてはいけない。
4月7日、緊急事態宣言を発令する際の記者会見でも安倍首相は、事業規模108兆円の経済政策を打ち上げている。
が、その中身を見てみると「真水」と言われる財政支出は39兆円、その中でもコロナ対策に使われる予算は、たったの16兆円だった。
「事業規模」とは、その経済政策で、あんな効果やこんな効果を甘い見積もりで膨らましまくった効果試算の合計に過ぎない。
それなのに、「空前絶後」「世界最大」と、形容詞だけはいつも壮大なのが、安倍首相の演説なのだ。
確かに一日の手当てを1万5千円というのは、世界でも高水準と言えるのだが、問題はどのくらいの人がコレをもらえるのか、である。
ごく一部の人にしか回らないのでは意味がない。
ここについては、今後の検証を待ちたい。
「3本の矢」と聞いて、アベノミクスがまだ存命中であったことを初めて知った。
「アベノ」と来れば、「マスク」と続くのが昨今のトレンドになってしまっている。
さっきの「ほぼ収束」とは何だったのか?
謎のシステム。
絶対的に検査数が少ないせいで陽性者がどこに何人いるか見当もつかない状況で、どうやってアプリに「陽性者」をインプットするのか?
これは、圧倒的な検査数で炙り出した陽性者が認識されて初めて機能するもので、検査なしにこんなものを開発してもなんの意味もない。
いいことだが、「最大」という表現が気にかかる。
企業のキャンペーンだったら、肩に※が付いていて、チラシの隅に小さく断り書きが書いてある体のものだ。
ここは数少ないマトモなくだりだが、本当に「万全の備え」を安倍政権がするのかどうか、後日検証するためにもしっかり記憶しておきたい。
これらの概念ほど、安倍政権に欠けているものはないと思うのだが。
「堅持」もなにも、ハナからこの政権にそんなものはありもしない。
「どの口が?」という感想しかない。
「世界でリーダーシップを発揮する」というセリフは、安倍首相の大好物で、過去7年間の政権下でもたびたび使われてきたが、海外のニュースが十分でない日本では、これが半ば通用してきた感がある。
今回、コロナ禍という世界共通の災害に見舞われて、世界との圧倒的な政府能力の差を見せつけられた今、この妄想はどこまで国民に通用するのだろうか?