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「テレビが視聴者を安心させる」とはどういうことか

前段のブログで、「テレビが視聴者を安心させる」という話が出たので、それについて考えてみた。

モーニングショーのそもそも総研というコーナーで、「テレビが不安を解消させるための道具になっている」と、社会派漫才師であるウーマン村本氏が、インタビューで言った言葉が起点となった。
コーナー担当の玉川さんは、自分に「突き刺さった」として、スタジオで取り上げた。

その時、番組司会者の羽鳥さんが、「テレビが視聴者を安心させていったい何が悪いの?」と、普段おだやかな彼に似合わず、半ばムキになって、玉川さんに食ってかかったのだ。

その内容は↓のブログで。

「日本人が『知るべき問題』とはなんだろうか?」を見て
「日本人が『知るべき問題』とはなんだろうか?」 2019年2月21に放送された「そもそも総研」のタイトルだ。 わりと普段から深いところを突いてくる番組の名物コーナーだが、今回はさらに深く、考えさせられた。 近ごろのテレビが大事なこ...

安心を与えるメディア、という話をするのに、向いた体験談があるので、ちょっと紹介したい。

90年代半ば、私は上海のとある大学で、中国語を勉強していた。
積極的に、現地の大学生と関わっていた私は、中国人学生から「ある噂話」を耳にした。

「最近、上海市内で通り魔が相次いでいるらしい。自転車かバイクで通りすがりに人の頭をハンマーで殴る、というもので、すでに、死者、重傷者が出ているらしい。詳細は全く分からないが、連続通り魔事件のようなので、不用な外出は控えたほうがいいと思う。噂話なので、詳しいことは分からない。

当時私は、「新民晩報」という、上海の有力地方紙を購読していたのだが、社会面にそういう記事は一切なかった。

そして、他の、中国人学生と交流のある日本人留学生にもその話を聞いたみたが、彼も中国人からその噂は聞いているが、真偽は分からないという。

私たちは翌日、中国語の授業で、中国人教師に「噂」の真相を確かめた。

先生も、噂は知っているが、真偽は分からない、という。

が、その後の解説が興味深かった。

「中国の新聞は、悪いニュースは書かない。私たち中国人は、そういう新聞を元々信じていないから、そういう「噂」をキャッチ出来るよう、いつもアンテナを張っている。噂の真偽は分からないけど、多くの人がそう言うなら、気を付けたほうがいい。」

すごい国だな・・・と平和な国で育った、無垢な日本人留学生は、そろって凍り付いた。
私たちは、他の日本人留学生たちに、その「噂」を伝え、不要不急な外出は出来るだけ控えるように言い広めた。

それから2週間ぐらい経ってからだろうか、

通り魔犯人、逮捕!」←得意げとも感じるくらいの見出しで。凶器の写真付き(怖)

という記事が、新民晩報に載ったのは・・・・。
日本人留学生は、再び凍り付いた。

そこは報じるのかーーい!!!

「なんという国だろう」と、ある程度中国のことを知っているつもりだった私も、この出来事には心から驚いた。

これはあくまで、90年代に私が上海で体験した話で、現在の中国でこういうことがまだ行われているのか、改善されたのかは分からない。
そこは今回のテーマでないので、触れない。

ただ、この件を思い返して感じるのは、「耳当たりが良い」「視聴者から不安を払しょくする」「視聴者を安心させる」という報道姿勢は、極めればこういうところに行きつくのだはないかということ。

「イヤなことだけど、オトナは考える必要があるニュース」「知ると世の中にガッカリしてしまうけど、知らないとまずいニュース」を、テレビ側の勝手なフィルターで、事前に濾過されてしまうと、市民はそれを一生知らないことになる。
それが果たして「安心を与える」行為なのかどうか、作り手は今一度考えてほしい。

以前に、タモリさんと有働アナとの対談で、印象に残った言葉がある。

見てる側の立場に立ってやったことはほとんどない。自分が楽しいからやってる。
俺が楽しけりゃ、たぶん同じような人もいると思う。

ニュースだから「楽しい」というのは違うと思うが、ここを「大切な情報」とすれば、概ねあてはまるのではないだろうか。
作り手だって、国民・市民の一人であるのだから、「これは知らねばマズい」と思った情報は、視聴者側にも共感する人が少なくないはずだ。

もうひとつ、タモリさんの言葉がある。

わかんないことに興味を持ったことが、テレビを好きになるきっかけ。わかんないとこを残しておいたほうがいい

氏が、子供のころに見た深夜のオトナ向け情報番組を振り返り、全部は分からなかったが、とても面白かったし、もっと知りたいと思った、という。
視聴者が完全に理解できない内容は、「視聴者には難しいので」、割愛して、分かりやすく作り直して、・・・
こんな気遣いは無用だし、なにかバカにされている感じすらする。

テレビが視聴者の「キモチ」を気にして、先回りして番組を作ろうとするほど、視聴者は離れていくのではないだろうか。
サービス業的な「相手の気持ちを考える」ことよりも、「作り手自身が、なにを発信したいのか」というクリエイティブな視点を、テレビは今一度取り戻す必要があるのではないかと思う。

 

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