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「マツコ・デラックスをぶっ壊す」N国党首の行動について考える

マツコ・デラックスがどこかの番組で、N国党について「気持ち悪い人たち」「一部の有権者はふざけて入れた」等の発言をしたことを発端に、ある事件が起きた。

 

立花氏はこの日午後、自身のYouTube動画で電撃訪問を予告。午後5時15分に到着すると、公道に面したスタジオのガラス越しに、「公共の電波で投票してくれた人の気持ちを侮辱するのは、許されないでしょ。僕が反論したら、何一つ反論できない」と地声の“演説”で訴えた。
周辺には支援者を中心に100人近くが集まって、警察官7人が警備にあたるなど騒然。立花氏は約1時間滞在し、マツコが同局から出るのを待ったが対面は実現しなかった。最後は「NHKをぶっ壊す。マツコ・デラックスをぶっ壊す」と言い残して、迎えの車に乗り込んだ。
(2019年8月13日デイリースポーツ)

 

これを一般紙が報じることはなかった。
引用もスポーツ紙からで、一見すると芸能ニュースに近い「お騒がせ」事件のような扱いだが、これは大きな間違いであると思う。
テレビ界で引っ張りだこのマツコ氏を対象にすることで、こうしてスポーツ紙などは取り上げる。
彼らにとっては、カネのかからないいい宣伝になっただろう。
単に「お騒がせ事件」として取り上げるのでは、この宣伝目的に乗せられただけだ。
忘れてはいけないのは、この立花氏がすでに私人ではないということだ。

 

国会議員である立花氏を批判すると、本人が大勢を引き連れて職場に押し掛ける、ということを、彼らは社会に知らしめた。
この委縮効果は大きいと思う。
この件は、国会議員が、国民の表現の自由を侵した憲法違反という形で一般紙も取り上げ、社会に疑問を投げかけるべきだったのかもしれない。
本来なら・・・。
健全な社会であるのなら・・・。
ただ、この間のテロ予告を受けた愛知県の芸術祭といい、安倍首相の演説に野次を飛ばしただけで、警察によって市民が排除されたことといい、すでに日本社会における「表現の自由」なんてものはズタボロで、一般紙がそんな形で取り上げることも全くもって期待できない。
それ以上に、そんな疑問を投げかけられても、国民の多くが咀嚼しきれないかもしれない。
この国は、ものすごい勢いで壊れ始めている。

 

では、この騒動をどのようにとらえるべきか。
今の日本でわりと言われがちなのは、この行為がどういう法律に抵触するか、という観点からの意見だ。

 

もう、そういうのやめませんか?

 

そもそも法律っていうのは、いろんな社会の事情があって、その後から人が作ったものだ。
まず考えなくてはいけないのは、ナニ法違反か、ではなくて、この国会議員の行動には社会的にどういう問題があるか、である。

 

なにが問題かというと、私人が国会議員を批判すると、イヤな目に遭ったり、怖い目に遭ったりするかもしれないという委縮効果を作り上げることだ。
命を脅かしたり、体に危害を加える行為でなくても、「不快」「不安」を与えた程度で人は十分委縮する。
これがまかり通れば、こういうブログを書いている私にだって、いつ何時、プライベートな身分を探り出されてネットに晒されるとか、住所を突き止められて家の前まで来られるとか、そういう恐怖心を伴いながらブログを書かなければいけないことになる。
これ、とんでもない社会よ?

 

私には、あいちトリエンナーレも、安倍首相演説のヤジ市民排除も、この騒動も、いずれも日本での表現の自由が瀕死であるがゆえに、立て続けに起きた出来事のように見えて、非常に危惧している。
この一件を、「お騒がせおじさんの奇行」と甘く見るのは、危険をはらんでいる。

 

 

安倍首相の街頭演説に野次を飛ばした市民が警察に排除された件は、下の過去記事にて。

「増税反対」コールで警察が乗り出す、異常な安倍帝国
これは日本もいよいよ戦時中のような、「思ったことを言ってはいけない」社会になりつつあるのかと、恐怖を覚えるような出来事が北海道で起こったことを、皆さんはご存じだろうか? 15日に札幌市中央区であった安倍晋三首相の参院選の街頭演説の...

 

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