スポンサーリンク

柴山文科相 ヤジ大学生を警察によって排除

埼玉県知事選の応援演説会場で起きた、ヤジをとばした大学生が警察に乱暴に排除された件、ツイッターではずいぶんと話題になっていたのだが、ついにマスコミに取り上げられた。
朝日新聞の記事を見ると、文科相の定例会見での発言のようだったので、動画を探してみると、Youtubeに発見。
せっかくなので、記者の主観が入った「記事」ではなく、生の音声を聞いたうえで、この問題を考えてみようと思う。

 

動画を見てまず驚いたのは、これを質問した人が大手マスコミの人ではなかったということだ。
つまり、誰かが質問すれば記事にはするが、自ら挙手してこれを大臣に問うほどの勇気のある記者はいなかったのだ。
なんとも情けない。
質問者の所属する「インタースクールジャーナル」とは、ネットで検索すると、個人運営に近い教育現場に特化したジャーナリストのようだ。
運営者のツイートには、今回の会見のみ参加する旨が報告されている。

 

それにしても、文科省記者クラブに所属する大手マスコミが勢ぞろいしていたはずの会見で、このヤジ排除問題に関して質問する記者が1人もいなかったということに、激しいメディアの劣化を感じずにはいられない。
下は、動画からの書き起こしである。

 

記者「インタースクールジャーナル ヒラマツと申します。
大臣が24日、埼玉県知事選の応援に行かれた際、大学入試改革白紙撤回を求める大学生が排除されたと思いますが、大臣はこの大学生について「喚き散らしていた」とツイートされていました。対話的な学びを推奨されている大臣として、この発言は対話的な姿勢であるとお考えでしょうか。大臣の御見解をお伺いしたいと思います。」
柴山氏「・・(当時の状況説明)・・街宣車の後ろの部分から『柴山やめろ』とか『民間試験撤廃』とか、そういうことを大声で怒鳴る声がわーっと響いてきたんです。私はマイクを使って演説をしていたんですけれども、明らかに私の耳にも届くような形でそういう発声がされたと、いうことであります。もちろん、表現の自由は最大限保障されなければいけないということは、当然なんですけれども、主権者の権利としてですね、選挙活動の円滑ですとか、自由というのも非常に重要な権利だと思います。当該演説会に集まっていた方々は、その街頭演説会の候補者、或いは応援弁士の発言をしっかりと聞きたいと思ってこられているわけですから、私は大声を出したり、通りがかりに野次を発するというならともかく、そういうことをするというのは権利として保障されているとは言えないのではないかと、思っております。」

参照動画《柴山文部科学大臣会見(令和元年8月27日):文部科学省》12分30秒あたりから当該案件の質問→リンク

 

状況を見ても、大臣である柴山氏がマイクなどの「拡声器」を持ち、大勢の支持者を従えていたのだから、地声でなにかを叫んだ一人の大学生とは、立場的に圧倒的に有利だったはずある。
なんなら、柴山氏はマイクで自分の反論・主張を聴衆に諭すこともできたはずだ。

 

「明らかに私の耳にも届くような形で」とも言っているが、「私の耳に届いた」ことがずいぶんと気に障ったようだ。
また、氏はおそらく支持者のことを指して、「主権者の権利」とも言っているが、ヤジを飛ばした大学生だって「主権者」である。なにを言っているのだろう。

 

そして「ヤジの権利を保障されていない」という、柴山氏の独断の判断のもとに、警察が実力行使を出来るのも恐ろしい話だ。
同様の事件としては、ついこの間の参院選中に札幌で起きた、安倍首相演説の事件を思い出される。

 

「増税反対」コールで警察が乗り出す、異常な安倍帝国
これは日本もいよいよ戦時中のような、「思ったことを言ってはいけない」社会になりつつあるのかと、恐怖を覚えるような出来事が北海道で起こったことを、皆さんはご存じだろうか? 15日に札幌市中央区であった安倍晋三首相の参院選の街頭演説の...

 

このときは、ヤジは「増税反対」などであった。
安倍氏も柴山氏も、政策そのものに反対が多いことを知っていて、自信がないのではないか。
だから、大衆の前で反対を叫ばれると、精神の均衡が保てず、演説の続行が困難となる。
そんなことで演説が出来なくなるくらいなら、政治家をやめたほうがいい。
端的に言って、器じゃない。
気の小さな政治家の精神均衡を保つために、警察を動員されたのでは主権者である国民は堪らない。

 

また実は、この大学生が叫んだ「民間試験」というものが、政策として非常に怪しい。
大学入試というシステムを改変し、特定の企業が大きな利益を得るスキームに作り変えるという、いかにも安倍政権らしい政策が、この民間試験導入だ。
教育も学生もどうでもいい、とにかく、どうシステムを組み替えれば、ベネッセなどの教育関連企業が独占的に利益を上げられるか、ということばかりに執着した改革だ。
この問題のある法案が、なかなかテレビなどで報道されないのは、スポンサーである大企業が絡む案件であるからということも想像に難くない。

 

とにかく、こういう総理や大臣といった高い立場に立つ、気の小さな政治家が多すぎる。
反対意見を叫ばれたくらいでいちいち警察の実行力を持って排除にかかるのは、いかに普段から周りで反対意見が抑制されてるかということでもあるし、反論が「私の耳に届いた」と言っていることからも、それに関して側近の手抜かりを責めるような周囲との関係性がすでにあるのかもしれない。

 

気の小さな独裁者ほど危険なものはない。

 

にほんブログ村 政治ブログへ