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大学入試「民間試験導入」の何がダメなの?その問題点とは。

桜、桜、毎日「桜を見る会」でにぎわっているメディアだが、国会ではそればかりやっているわけではない。
テレビの報道では、もっとも注目されている審議しか話題にしないので、まるで国会の隅々までが「桜」の話題一色であるかのような誤解が生じるが、決してそんなことはない。
22日の文部科学委員会では、野党議員は時間いっぱいを使って、「民間試験導入」問題に斬りこんだ。

 

ちなみに、「身の丈」失言で問題になり「延期」されたのは、民間試験が導入される国語・数学・英語のうちの「英語」だけだ。
なぜ英語だけが延期されたかというと、国・数と違って、英語の試験は、すでに運営されている「英語検定試験」をそのまま導入する運びになっていたからだ。
つまり、一から試験のあり方を構築する必要がなく、これまでにもお馴染みの「英検」「TOEIC」「GTEC(ベネッセ)」などの「検定試験」を挿入しただけなので、既成の試験ということもあって、受験料も含めた問題点がよりはっきりしたのだ。

 

これらの「英語検定」は、資格・検定試験として開発されたものだ。
テストのあり方、設問など、すべてにおいて大学入試を念頭において開発されたわけではない。
そういう、「用途」が本来違う英語検定試験を乱暴に入試に流用するというやり方が、初導入で多くの部分が未定の国・数よりも、英語試験での問題点をよりはっきり具体的にさせた原因となったのだ。
これが、「英語」だけ、延期に追い込まれた事情である。

 

そして、国語・数学に関しては、まだ導入の決定は覆されていないのだ。
つまり、「やる」ということだ。
では、一体なにが、そんなに問題なのか。

 

これまでの形式は、
1次のセンター試験(選択問題・マークシート)で、およそ50万人もいる受験生を点数で振り分ける。
受験生は自己採点での得点を鑑み、2次試験で、実際にどのレベルの大学を受験するか絞り込む。
2次試験は、各大学が独自に仕切るので、受験生の人数も限定的。
各大学では、独自の学力要求を盛り込んだ記述式を含む問題を用意し、採点も大学内で同じ視点で行われる。

 

だから、「入試に記述・表現力が問われていない」から、1次試験に民間記述式を導入するという文科省の理屈はおかしいのだ。
実際には現行の試験形式でなんの問題も起きていないところに、文科省が無理に「問題がある」と言い立てて、民間試験導入を「やりたがっている」というのが、この政策の「不自然」なところだ。

 

まずは、当事者、受験生にとっての問題点を挙げてみよう。
現行のマークシートの1次試験では、採点ミスがない、あいまいな採点がない。
採点ミスは、過去に一度もないことが明らかになっているというから、優秀だ。
つまり、受験生が正確な得点を自己採点で得られるわけだ。
そして、得点数を参考に、自身のレベルにあった受験大学を2次試験で正確に絞り込むことが出来る。
民間を採用すれば、記述式の部分で何点得られるか予想がつかない上に、人的ミスや採点者の主観によるばらつきも必ず起こる。
こうして考えると、制度改正して得られるメリットは受験生には一つもない。
それどころか、むしろ害がある。

 

では、この受験制度改正には、どんなメリットがあるのか?

 

「採点」という、新しい「ビジネス」が誕生しました。

 

ここですよ。
民間試験導入が、「新しいビジネスを生み出す」政策であり、受験生どころか、そもそも受験や学術を軽視したものであることは、次の記事に詳しくあるので参考にして下さい。

 

民間試験は官邸発の癒着問題ー共産党・塩川鉄也議員の質疑
11月6日の衆議院予算委員会集中審議は、言うまでもなく「英語民間試験導入の延期」に関して、野党が政府を追及した。 野党各議員の質問は、それぞれ鋭いものではあったけれど、この問題を「受験生がかわいそう」「受験生を傷つけた」などと感情的な側面...

 

ベネッセが高校向けに配布した資料に、共通テストに向けた記述式の採点基準の作成などで助言事業を請け負っている旨の記載があり、模擬試験や対策講座などのほかの営業活動に利用した疑いがあるという。関係者によると、資料はベネッセが17年、首都圏約250の高校、約300人の教員を対象に大学入試改革に伴う自社サービスなどについて説明した会合で配られたという。
(2019年11月20日朝日新聞)

 

そして、20日、新たに発覚したのがこういう実情。
「採点」業務を仕切る企業が、「採点のポイント、対策と傾向」を指導する、としたら、そりゃ受験生は飛びつくし、そうした情報・教材を購入するだろう。
試験を実施する前からこれだよ、という感じだ。
この記事の見出しは、《「文科省がベネッセに抗議へ「中立性に疑念」》というものだが、一度、受験制度を民間の手に渡してしまったら、その契約内容に反しない限り、文科省と言えど抗議やお願い程度でしか介入できないことが、これでよく分かる。

 

「中立性」というのが、そもそも企業に対して無理な課題なのだ。
サービスを提供してその対価を得るベネッセに、どうやってその中立を保てというのだ。

 

そもそも企業とは、知恵をひねってサービスの対価を得て、1円でも多く利益を出すために作られた組織だ。
大学受験に限らず、あちこちで「民間譲渡」「民営化」が言われる世の中だが、公平性、公正性が担保されなければならない行政サービスを企業にやらせるということは、「身の丈」にあったサービスしか受けられなくなることそのものである。

 

22日の川内議員の質疑で知ったことだが、政府とベネッセは、24年3月末まで61億6千万円で採点業務委託の契約を交わしたそうだが、これを反故にした場合の違約金は、満額でも1億円ちょっとということだ。(損害賠償で訴訟を起こされた場合は別)

 

この愚策にブレーキをかけられるのは今。
安倍政権の悪政が次々と明るみに出てくる中、この民間試験導入も廃案にする必要がある。

 

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