「Society 5.0」(ソサエティ5.0) という言葉を聞いたことがあるだろうか?
2018年にはテレビCMが放映されていたようなので、それで名前を知っている人はいるかもしれない。
「未来投資会議」とか「教育再生実行会議」、「国家戦略会議」といった、
内閣府における安倍首相トップダウンの改革会議で、「その規制緩和や、改革・改正がなにを目的とするか」というとき、その大前提としてよく登場する。
Society 5.0とは、国家が目標としている「最新技術を用いたスーパーシティが構成する社会」だ。
安倍政権が、「ナントカ改革」と言って、これまでの仕組みを大きく変えようとするとき、たいていの場合、この「Society 5.0」の世界を目指すことが、動機の建て前となっている。
なので、国会動画を視聴したり、内閣府の「ナントカ会議」の議事録を読んだりしていると、この言葉をよく見かけるのだ。
がしかし、どういうわけか、報道でこの言葉を見かけることは、ほとんどない。
例えば、先日、「政府、高校の普通科を見直し」というニュースがあった。
詳しい中身が知りたいと、「教育再生実行会議」の議事録を官邸HPまで見に行ったときだ、
(「高校抜本改革」についてはこちらのブログで)

この議事録の冒頭では、安倍首相が、改革の根拠として「Society 5.0を生き抜くための教育・育成」、という主張を述べている。
高校普通科を見直す、という行為は、Society 5.0社会を目指すためには必要な改革だというのだ。
国民のどのくらいの人が、この「Society 5.0」という言葉の中身を知っているだろう。
例えるなら、現時点において、「国家」というバスが目指している次の目的地だ。
いま政府は、全力を挙げてここを目指している。(・・少なくとも、そういう体になっている。)
これは、「Society 5.0」ということを少し知っておく必要があると思い、いろいろな情報を拾い集めてみた。
「Society 5.0」とは?
内閣府のHPが、たぶんシンプルで最も見やすいと思われる。
内閣府「Society 5.0」リンク
政府広報の「Society 5.0」専用サイトもあるのだが、少なくともPC環境では、ミュイーン、クルクルとなる仕掛けが無駄に多く、そのわりに情報量が少ないので、圧倒的に分かりにくい。
本来なら、「内閣府」のサイトよりも、政府広報のサイトにこそ、より国民に分かりやすく示す意義があると思うのだが、予算だけは惜しまずかけても、そのクオリティのチェックは蔑ろという、典型的なお役所仕事に終わっている。
・・・それだけでも、なにか底が知れた予感がなくもない。
さて、「Society 5.0」とはつまりこういうことだ。
Society 1.0 狩猟社会
稲作伝来
Society 2.0 農耕社会
産業革命
Society 3.0 工業社会
インターネットの普及
Society 4.0 情報社会
IoT、ロボット、AI、ビッグデータの登場
Society 5.0 新たな社会(←もうすぐココ。ココを目指そうという、国家プロジェクト)
の、「新たな社会」の部分が、来たるべき「Society 5.0」という社会なのだ。
Society 5.0で、実現すること
この項目が、かなり怪しい。
最先端技術で、「貧富の格差」が克服できるという、ナゾ解説。
いくらなんでも、それはない。
そこは、国のかじ取りをする人たちに、「格差をなくす」という決心が、必須で求められる部分だ。
「互いに尊重し合あえる社会」になれるというのも、不可解極まりない。
ふんわりと、便利で快適な社会なのは想像がつくが、「少子高齢化」「過疎化」「格差問題」など、現在日本が抱える深刻な問題を十把一絡げに、
「解決できまっせー」
と無責任に盛り込み、それを解決することで、「閉塞感を打破」「希望の持てる」「尊重し合あえる社会」になれると安請け合いをする。
いやちょっとマテ、国民が「閉塞感」「希望が持てない」「尊重しあえない社会」と感じていることを、政府は知ってたんだ、という点に気が付いた。
政府はこれまでに、「戦後最長の景気回復」とか、国民の生活「満足」が過去最高なんて情報を発信しまくっていたので、上級国民と言われる官僚の人たちにとって、そうした庶民の生活は、別世界の出来事という認識なのかと思っていた。
「知ってたのかよ」
Society 5.0という、理想の未来図を政府が作ったワケ
ここからは私見になる。
政府が、新しい利権づくりをしたいとき、これまでの仕組みを理由もなく解体・再構築するわけにはいかない。
国民に対してなにか大義名分がなければ、やたらと勝手に手を付けるわけにはいかないのだ。
法案で言う「立法事実」みたいなものだ。
いじくるには、いじくらなければならない必要性を国民に示す必要がある。
その「いじくる理由」として、頻繁に用いられるのが、Society 5.0だ。
高校の普通科に手を突っ込み履修教科をいじくる「大義名分」として、「Society 5.0」時代に必要、という無理矢理、かつ強引な筋書きを仕立て上げる。
その実、教育という公的サービスに業者を新規参入させることで、巨額の利権を創り出すのが目的なのだ。
調べてみると、「水道法改正」も、「Society 5.0」の実現に向けた改革と謳っている。
これは、政府ではなく経団連の見解だが、外国人材をバンバン受け入れる「入管法改正」も、「Society 5.0」を実現していく上で不可欠という声明が、HPに掲載されている。
もう、なんでもいいんだな、という風にしか見えない。
社会の万病に効く「Society 5.0」というワードを見つけたら、怪しんでほしい。
そこには、たぶん病はない、と。