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「過疎」の代替語を総務省が検討中

「過疎」の代替語を、総務省が模索しているという。

 

 総務省の有識者懇談会は2日、人口減少が進む地域を指す「過疎」に代わる用語を検討する方針で一致した。豊かな自然などに魅力を感じる人が増える中、マイナスのイメージがある言葉は実態に合わないと判断した。(7月2日共同)

 

「過疎」というのは、若者の流出と人の自然減少で、限界まで人口が減って困っている地域のことを指す。
マイナスイメージもなにも、昭和からある「社会問題」なのだから、ポジティブなイメージがあるはずがない。
社会の「問題」だからこそ、官庁が補助金を出したりして対処しているのではないか。

 

私自身、小学校か中学校で、「こういう現象を過疎化と言います。」と教えられ、社会のテストにも出たような気がする。
いまさら、その言葉を変更します、というのは、中央官庁とはいえ傲慢すぎる。
総務省は、何のためにこんなことを言い出すのか。

 

「豊かな自然などに魅力を感じる人が増える中、マイナスのイメージがある言葉は実態に合わない」この一文も、なかなか理解に手こずる。
「実態」とは、なんの実態だろうか。
現に、住民が少ないのだから、それが実態だと思うのだが。

 

省庁が、こういう突飛な提案をするとき、そこにはなにか意図がある。
そこで、これまでの総務省の動きをおさらいしてみた。

 

そしてこんな記事を見つけた。

《仕事もバカンス先で=受け皿づくりで自治体連合-長野、和歌山両県》
都会で働く人たちが休暇を楽しみつつ、仕事もこなす「ワーケーション」の普及を目指し、長野、和歌山両県は自治体連合を発足させる方針だ。
(2019年6月3日時事)

 

休暇を楽しみつつ仕事?
それ、休暇って言わないだろ、と過去にツッコんだ記事だった。

 

このアホのような書き出しの記事は、次の文章で締められる。

政府はこれまで、東京圏から地方への移住を目指してきたが、むしろ東京一極集中は進んでいる。このため、6月に決定する新たな地方創生基本方針では、都市部などに住みながら、単なる観光ではなく継続的に地域との関わりを持つ「関係人口」という概念を明記。関係人口の創出や拡大を通じて一極集中是正につなげる方針で、ワーケーションは一つのきっかけとして期待されそうだ。

 

安倍政権が2014年から「地方創生」と称して取り組んできた(かのように見せてきた)地方への移住策だが、杳として進まず、それどころかむしろ東京一極集中が加速してしまったことに、すでにあきらめモードに入り、政府は違う作戦を模索しているようだ。

 

そこで打ち出してきたのが、新しい概念「関係人口」だ。
役人というのは、こういう小手先のダマシが本当によく思いつくものだ。
「関係人口」とは、観光客ではなく、住民でもなく、その土地に何らかの思い入れやこだわりがあって、リピーター的にそこで短期間過ごす人、という概念なのだそうだ。
例えば、実家がある人、移住はしないが特定の趣味やレジャーで繰り返し訪れるような人を指すらしい。

 

なるほど、なるほど。
つまり、人口増は到底見込めないので、いわゆる「過疎地」が、東京でファン(大自然が好きな人など)を募り、時折そのファンに「過疎地」で過ごしてもらおう。
それを「関係人口」と呼び、「関係人口を含めた人口が増えました。おめでとう。」と言うつもりなのだろう。
そういうファンを募るためには、「マイナスのイメージがある言葉は実態に合わない」、なるほど、これで不可解な一文の意味が繋がった。

 

いや、しかし待ってくれ。
「関係人口」の人々が、過疎地を訪れたときの消費は見込めるが、彼らは住民税は払わない。
行政にも関わらないが、インフラは必要とする。
別荘地のようなことになるのではないか。
すでに、別荘地としての経緯がある土地はいいだろうが、過疎地が別荘地に参入してうまくいくとはとても思えない。
人が増えて税収が増えないので、むしろ財政難に陥ることは考えられないのだろうか。

 

たぶん、お役人たちは、「関係人口が増えました。うぇーい。」で終了するつもりなのだろう。
そんなもの増やしてどうなるというのだ。
日本の延べ人口が2億人になるくらいのものだ。
まったく意味がない。

 

最初に「過疎」の代替語、と聞いたときは、過疎を「なかったこと」にしたいのかと思ったが、どうもこれは典型的な役人の机上の軌道修正で、東京一極集中を黙認しつつ、地方の人口(関係人口含む)を増やす、というレトリックの途中経過に過ぎないということが見えてきたのだった。

 

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