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国家百年の計は教育にあり

立憲・枝野代表からこんな言葉が出た。

 

(延期が決まった英語民間試験について)なぜ、こんなおかしな制度を作ることになったのか。私の承知する限りでは、一番の原動力になったのは、(教育再生実行会議のメンバーだった)下村(博文)元文部科学大臣ではないかと思っている。下村元大臣が(英語民間試験を)導入しようとしたいきさつ、これが一番本質的な問題ではないか。しっかりと問いただしていきたい。
(2019年11月4日朝日新聞)

 

これは、とてもいいことだと思う。
英語民間試験といえば、目下「身の丈発言」の萩生田文科相が矢面に立っているが、もちろんこの方の辞任もしかるべきとは思うが、民間試験制度を推し進めてきたのは、下村元文科相といえる。
下村氏の人脈をつつけば、加計問題並みの疑惑が浮上してくる可能性もあると思っている。
そもそも下村氏には、2017年に加計学園からの200万円の献金疑惑がある。
その時は、なにかの選挙の後に説明責任を果たす風なことを言っていたように記憶しているが、結局自ら説明することはなく、安倍政権の息のかかった東京地検特捜部が不起訴にして、はいオシマイという、なんとも国民をバカにした結果に終わった。

 

今回の民間試験の問題に関しては、安倍政権を支持する人からも、さすがに擁護の声は聞こえない。
「受験生」という明確な被害者がいるからだ。
期限間近になって、試験の方法がヒラヒラと変更されたことで、受験生が「かわいそう」「気の毒」という声もあちこちから聞こえるが、そう言う人のすべてが、これまできちんと政治を監視してきただろうか。
受験生を気の毒がるのは簡単だが、彼ら多くは未成年で選挙権がない。
直接の責任が、閣僚や官僚にあるのは言うまでもないが、長引いた加計問題を「もうたくさん」「飽きた」などと言って、最後まで厳しい目を向けなかった人が、「受験生がかわいそう」などと同情心だけ抱くのは、大人としていささか都合がよすぎる態度といえる。
厳しい言い方かもしれないが、大人たちはこの受験生の災難を「有権者が政治の監視を怠った」ことが引き起こしたことだと猛省する必要がある。
ひょっとしたら、加計問題や下村氏の疑惑をきちんと最後まで解明することで、文教族のやりたい放題にブレーキがかかり、この一件を防ぐことだってできたかもしれないのだ。

 

政府がまったく対策する気がない「少子化」には拍車がかかり、子供の数は確実に減っている。
その少ない子供たちへの教育にすら、容赦なく手を突っ込み利権に変えるのが安倍政権の平常運転だ。
教育政策で恐ろしいのは、すべてが遅効性であること。
いい結果も悪い結果も、教育政策の結果が見えるようになるまでは、最低でも数十年はかかる。
日本人が、近ごろ立て続けにノーベル賞の自然科学部門を受賞しているのも、研究費が潤沢だったバブル期の成果が今現れているだのだと、受賞した科学者自身が語っている。

 

梶田隆章氏(物理学賞) :今の相次ぐノーベル賞受賞は「1980年代から90年代の仕事を、今評価してもらっている」もので、「日本では2000年以降研究環境が急激に悪化しているので、ノーベル賞が今までのように出るかというと、怪しいと言わざるを得ない」といいます。
(2017年9月29日NHKWEB特集)

 

公共教育の目的はノーベル賞のためではないが、日経の過去の記事にこんなものがあった。

 

今年のノーベル賞で日本からは3年連続で受賞者が生まれ、これまでの受賞者は合計25人に上る(米国籍を含む)。受賞者がどの大学の出身者かに注目が集まりがちだが、どんな高校や中学校に通っていたのかを調べたところ、18都道府県にわたり、そのほとんどは公立校だった。一部の大都市やエリート校に集中するのではなく、全国に散らばっていたという裾野の広さが日本の強さといえそうだ。
(2016年11月7日日経)

 

すべての子供、学生たちに、平等に教育の機会を与えられることが、いかに国力になるかということを、証明しているような事実だ。
数年先の損益のソロバンしかはじけない為政者は、間違いなく国を衰退させるだろう。
教育政策は、結果が見えてから手を打ったのでは遅いのだ。

 

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