議事録を残したくないと政府が駄々をこねている「新型コロナ対策専門家会議」に異変が起きている。
24日、脇田氏、尾身氏、岡部氏の3者が、日本記者クラブで会見を開き、これまでの政府との有り様を語った。
会見はメンバーの幹部によって行われたせいか、やんわりとした表現だったが、これまでのコロナ政策がまるで専門家会議が決めたかのような誤解を与えかねない政府説明について疑義を唱えた。
さらに、マスコミ各社は関係者(他のメンバー?)への取材から得た話として、政府が専門家会議にさまざまな文言削除を求めていたことが分かってきた。
このうち、3月2日に出された2回目の「見解」では、専門家らは当初「無症状、あるいは軽症の人が感染拡大を強く後押ししている可能性がある」という文書をまとめていたということですが、最終的には「症状の軽い人も気がつかないうちに感染拡大に重要な役割を果たしてしまっている」という表現になったということです。
この直前の2月28日には北海道で独自の緊急事態宣言が出されていて、政府側は「パニックが起きかねない、無症状の人に対しては何もできない」と説明したということです。
これ以降、見解や提言を出す際には、政府側と議論してまとめる作業を行ったあと、専門家が記者会見して発表する形になりました。
(2020年6月24日NHK)
「パニックが起きかねない」として、国民に情報を隠すという行為は、危機対策として政府が最もやってはいけない例の一つによく挙げられる。
「無症状の人に対しては何もできない」というのは、本当だろうか?
対処する能力がない、という意味で「何も出来ない」というのなら、国家スキルが発展途上国並みだというのに等しい。
政府としては、そこに資金を入れたくないのと、黒川、河井案件という政権に関わる問題を抱える中で、彼らにとっての優先順位が低かったのではないかと想像せざるを得ない。
さらに緊急事態宣言が解除されるに至ると、政府は「議事録は公開しない」という方針を取りだした。
言い訳としては、もっぱら専門家たちが民間人であることを挙げたり、彼らが自由に発言をするためなどという理由を挙げるが、それは違う。
議事録で最も守られる可能性があるのは、民間人である専門家たちたのだ。
彼らがどんな発言をしようと、医学的に特別大きな間違いでもない限り、それは「医学的見解」として政府に尊重されるべきであり、それをもって最終決断を下し、予算を付けるのは「政府」なのである。
その議事録を出さなければ、政府の失策を専門家会議の間違ったアドバイスによるものだったかのように、責任をなすりつけることも可能になる。
西村大臣は、議事録を作るかどうか、専門家会議のメンバーたちに確認、承認が必要と主張していたが、そもそもメンバーが「作らないでほしい」と言うはずがないのだ。
そして、こういう動きのあった同じ日に、西村大臣は専門家会議の廃止を宣言した。
(2020年6月24日NHK)
何とわかりやすいのだろう。
旧専門家会議のメンバーが全員切られるのかどうかはまだ分からない。
が、専門家会議の座長が記者会見をするのと西村担当大臣が専門家会議の廃止を表明したのが同日24日であったことは、単なる偶然ではないはずだ。
端的に言えば、第一波のコロナ対策でヘタを打った政権は専門家を片付けることでその失敗が専門家にあったかのように片づけるつもりなのだろう。
それを察知した専門家たちは、会見を開いて慌てて自らの言い分を公で主張したのだ。
(2020年6月24日NHK)
「幅広い分野から人選」とあるが、要するに医学的見地から意見を言う人を大幅に減らすということなのだと思う。
これから来るかもしれない第2波に備えるためにも、「ワクチンの接種のあり方」なんかを議論している場合だろうか。
そんなものは、開発から生産されて行き渡るまでに相当な時間がかかるのだから、後からゆっくり議論すれば間に合う話だ。
1か月もすればGoToキャンペーンで国民を旅行に行かせようとしている政府は、今後はコロナなんかあっては困る、出来るだけないものとした前提での政策を取りたがっているに違いない。
新しい専門家チームはその後押しを手伝うのだろうか?