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伊藤詩織さんの民事勝訴で考える、次にやらなければいけないこと

ジャーナリストの伊藤詩織さんが、元TBS記者の山口敬之氏から性的暴行を受けたと訴えた裁判で、東京地裁が330万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
このブログをお読みの方なら、事件の経緯やあらましはすでにご存じのことと思うので、詳しい説明はここではしない。

 

このニュースは私の住むドイツでも報道された。
ビッグニュース扱いではないが、日々ニュースをチェックする習慣のある人ならば、たやすく目に付くくらいのボリュームだ。
ロイターやAFPといった通信社記事をドイツ語にして報じているメディアもあれば、独自記事を載せている有力メディアも少なくない。
ほとんどの記事は日本の報道と中身がそうは変わらないので、記事を翻訳して紹介する必要性はまでは感じないが、しかし、一つだけ、日本の報道とは決定的な違いがあった。
それは、おそらくドイツだけでなく他の外国メディアに共通すると思うのだが・・。

 

どの報道でも、文中のどこかに「Abe」の文字を含んでいたという点だ。

 

この伊藤詩織さんの案件は、単なる性犯罪事件ではない。
安倍首相とかなり親しい関係にある山口敬之氏が、その縁故を伝って刑事案件をもみ消したのでは?という疑惑が、以前から深く付きまとっている。
この疑惑について、ドイツ紙が深く解説することはなかったが、山口氏については、「安倍晋三首相と非常に近い関係のジャーナリスト、山口敬之氏」と人物説明をしている。
この裁判は、世界的な「MeToo」運動の一部としても注目されているが、それだけではなく先進国の総理大臣の身近な人物が加害者とされていることでも関心を持たれている。
それは、外国人記者団の中から「ジョーキューコクミンアツカイ(上級国民扱い)」という言葉が出てきたことからも窺える。

 

総理大臣の影が見え隠れするこの案件の判決が下されてから以降、ネットの「アベ応援団」と言われる人々の界隈で、マスコミのニュースにはならない、とある動きがある。

 

これまで伊藤詩織氏に牙をむき、ネット上で独自の「ゲンロン」を垂れ流していた連中が、急にトーンダウンしていることだ。
国会議員の足立氏は、「山口氏と同席したネット番組には当面出ない」との主旨をツイート、同じく国会議員の杉田水脈氏は、これまでの暴言は「私の表現の拙さ」などと言い訳し、経済評論家の上念氏は「これ以上、山口氏を擁護するのは難しい」という主旨のツイートをしている。
他にも、こうしたネット番組において、伊藤詩織氏に対する誹謗中傷を繰り返してきた自称保守たちが、次々と難破船からの脱出を試みている。

 

言わせてもらうが、彼らがこれまでしてきた行為は、決して「山口氏を擁護」などというものではなかった。
異常に積極的な、伊藤詩織氏への中傷であった。
それを、伊藤氏が民事裁判の勝訴という区切りをつけ、中傷してきた人たちへの法的措置を考えていると表明した瞬間、彼らは今までのことをあたかも「なかったこと」にしようと言い訳をしはじめている。
残念ながら、ネットを活動の中心としてきた彼らに、これまでのデータを「なかったこと」にするすべはない。

 

彼らが「異常な積極さ」で伊藤詩織氏叩きに余念がなかったことは、性犯罪の本質とはあまり関係がなかったように思う。
性犯罪の被害者が持つ、独特の社会的弱点は大いに利用したが。
中傷を繰り広げてきた「保守」界隈の活動者は、加害者である山口氏の後ろにある大きなモノ、ただそれにあやかりたい下心が仲間内で一致して、まるでクラブ活動のようにイジメを楽しんだ。
私にはそんな風に見えた。
一緒に笑いながら叩けば叩くほど仲間内の連帯感は強くなって、少しでも他より抜きんでた発言をしようと、中傷内容はさらにエスカレートした。

 

仲間内で濃縮された感性は、知らぬ間に一般社会の感性からどんどん乖離し、裁判の後に開かれたHanadaでの記者会見では、加害者側が、本当の被害者は「記者会見の場で笑ったり上を見たり、テレビに出演してあのような表情をすることは絶対にない」などという珍説を開陳し、ネットとは縁のない人々をもドン引きさせた。

 

こういう醜悪なネットの「クラブ活動」に、何人もの現役国会議員が参加していたことは、ネットに触れていない国民にも知らされるべきだと思う。
特に与党である自民党が、醜悪な人物を比例高順位で国会に押し上げることは、党としての責任を問われるべきだし、ひいては総裁である安倍晋三氏にも大きな責任があるはずだ。

 

安倍首相が伊藤氏を侮辱することは公には一度もなかった。
とはいえ、醜悪な「ゲンロン」をネットで垂れ流す人物たちと親しく付き合い、その後も深い親交を持ち続けたことは、政治のトップにいる人間として、その「ゲンロン」にお墨付きを与えたに等しい。

 

暴行事件の結論が民事裁判という形で一段落ついた今、刑事案件としての捜査がなぜ止められたのか、社会で検証される必要がある。
いや、これは絶対に明かされなければならない。
なぜなら、その人の立場、つまり「上級国民」か否かによって法の適用が異なるのであれば、国全体の遵法意識は絶対に下がる。
広く人々の心に、「やったもの勝ち」「法を守ることがバカバカしい」という意識が染みついてしまうからだ。

 

そんなディストピアに日本が変わりゆく姿は想像したくない。

 

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