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慰安婦少女像の企画展中止に見る、日本の政治家の劣化

それにしても日本には、政治家の資質がかけらもない政治家が多すぎる。
地方でも国政でも、選挙に立候補する時は、民主主義に関するTOEICみたいなテストを導入して何点以上とハードルを設けてもいいのではないか、と本気で考えてしまう。

 

大騒ぎになったこの事件は、詳しく引用するまでもないだろう。

 

愛知県で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(津田大介芸術監督)の企画展「表現の不自由展・その後」で展示されている、慰安婦を表現した少女像について、河村たかし・名古屋市長は2日、大村秀章・愛知県知事に対し、展示中止を含めた適切な対応を求める抗議文を提出したことを明らかにした。「日本国民の心を踏みにじる行為で、行政の立場を超えた展示が行われている」などとしている。
(2019年8月2日朝日新聞)

 

そもそもこの展覧会の作品は、過去に展示するにあたって「表現を制限された」作品を集めたもの。
なぜ制限されたのか、それは適切だったのか、そういう疑問も同時に投げかけている。
芸術というよりは、むしろ哲学の域に近い。
行政は、考えるチャンスも民衆に与えたくないということか。

 

こうまでストレートに、政治が芸術活動や表現活動にモノを申してくるというのは、一国家として「未熟である」という証にもなる。
「れいわ」の障がい者2人が国会登院の際の、介護サービスの負担に関して訴えたときも、「自己負担で」と迷うことなく声を大にして言い放った政治家と、今回の展示に横やりを入れて来た政治家の名前は、なぜか一致する。
これは偶然ではない。
考え方やモノの見方の違いから生じる「意見の相違」ではなくて、ただただ、民主主義や先進国家としてのあり方を知らなすぎる、無知な輩が政治に入ってきているからなのである。

 

日本人は海外の他の先進国と比べて、それほど無知な国民を抱える国だとは思わない。
海外に長く住んでいる私の率直な感想だ。
だがしかし、その国民が選んだ政治家の無知蒙昧さは、目を覆いたくなる有様だ。
なぜこういうことが起きるのか。
やかり、こういう時に、最も気になるのが投票率だ。
河村たかし名古屋市長とは、どういう選挙で選ばれてきた人なのか。

 

2017年名古屋市長選挙 最終投票率 36.90%

 

ああ、やはりそういうことなのか、と思ってしまう。
これでは、民主主義が全く機能していない。

 

「民主主義が機能していない国」というのは、世界からどういう風にみられるのか、今日本人は真剣に考える必要がある。
例えば、いま、モメにモメている日韓関係。
他国は、自国に直接的な損害をもたらさない限り、第三国同士の争いごとに余計な口は出さないものだ。
そりゃそうだ。
要らぬ正義感から、「どちらが正しい」などと余計なジャッジを下して、一方の国と険悪になっても、何の得もないからだ。
日本政府はそれをいいことに、韓国に対してこともあろうに外務大臣自ら、強気な口撃を仕掛けているが、他国が何も言わないのは、それに賛同しているからではない。
じっと、見ているのだ。

 

国と国が争っている時、国際世論に大きく影響するのが、その国の内政がどれほど民主主義国家として成熟しているか、という点だ。
例えば、とある独裁国家とその隣の高度な民主主義国が争っていれば、国際世論というのは自然と後者に味方する。

 

政治家の程度が低くく民主主義が機能していない、芸術展すら権力が制限をし、首相の演説に野次を飛ばせば警察に引っ張られる、そういう成熟しているとはいい難い国家体制の国が、国際世論なんぞを引き付けることが出来るのかどうか。

 

今後の日本は、経済的に世界のトップを走る国にはなれそうもない。
それも致し方ない。
けれど、敗戦後どこよりも早く先進国に躍り出て豊かさを培った国はさすがに違うものだと、せめてセンパイ感くらいは出してほしいものだと思うのである。

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