(リンクを張っておくけど、この記事が掲載される期間はそう長くはないだろう。)
こんな表題の記事が、NHKニュースWEBに掲載された。
おそらくこれは放送された内容ではなく、WEBのみの文章記事だと思う。
確認はしていないが、放送内容を記事にしたコーナーとは、掲載ページが異なっている。
(中略)
これに対し、理事会に出席した在ジュネーブ国際機関日本政府代表部の岡庭健大使は「表現の自由は憲法で最大限に保障されている。日本政府は民主主義や自由といった基本的価値観を守るための取り組みを進めている」と反論しました。
安倍応援団になり下がったNHKニュースが、こんな話を選挙前にテレビで放送するはずもなく・・・。
「報道していないとは言えない」状態を作るため、誰も見ないようなカテゴリに、アリバイ作り的に記事を載せたか。
それとも心ある記者がまとめた報道が、どうしても採用されず、このページに押しやられたのか。
その実態は、外からは分からない。
この一連の話は、2016年4月に、ケイ氏が調査のために日本を訪れたところから始まる。
時は、秘密保護法が可決され、伊勢志摩サミットで国内が盛り上がっていたころだ。
ここで驚くのは、官邸が、ケイ氏の訪日中に、公安の尾行・監視をつけたことだ。
異常極まりない。
国連派遣「表現の自由」調査官を官邸が監視。FACTA誌による。 pic.twitter.com/6WsEN2tiie
— Martin Fackler (@martfack) 2016年5月24日
この事実に、国連人権理事会の界隈は、ザワついそうだ。
そりゃそうだ。
敗戦後、高度成長を経て豊かになった日本を、世界の多くの人たちが、本当の先進国だと思ってきた。
なんか、そうじゃないらしい・・・。
と、世界は徐々に気付き出す。
ちなみに、この時、ケイ氏が申し込んでいた政府関係者への面会が「ドタキャン」されたという話が、東京新聞の望月衣塑子氏とスガ官房長官との間で、真実だ、デマだ、と、今でも争いのタネになっている。
土壇場のキャンセルだったのかどうか、詳しいタイミングは分からないが、少なくとも「表現・報道の自由」を調査するために国連の有識者として来日したケイ氏に、官邸は監視をつけ、面会は断った、という点は、揺るぎのない事実だ。
「実際に調査を行って、報道の自由に関する懸念は強くなった。」
「日本は報道の独立性を担保するために何らかの対応を取るべきだ」
現地調査を終え、日本を後にするケイ氏が総括として残していった言葉だ。
そんなことを経て、この6月26日に国連人権理事会に報告書が提出された、というのが文頭で紹介した直近の出来事だ。
NHKの記事では、「ケイ氏、人権理事会に報告書を提出→日本政府は反論」と、なにか冷静なやり取りであるかのような印象を受けるが、同じ出来事を扱った産経新聞では、少し違う情緒で報じられている。
「報告書は決して厳しい内容ではなく、状況改善を促したもの」だと主張。政府は「私の勧告について考え、合意できるところがあるかを考えるよりも、全体的に拒絶した。対話はなかった。勧告だけでなく、私の理解をも拒絶した」と嘆いた。
(2019年6月27日産経)
「全体的に拒絶」というと、あの、金融庁の報告書を「受け取り拒否」した麻生大臣の一件を思い出す。
政権も含めた今の政府では、「対処に困るもの」→「ないことにする」というプロセスが常とう手段となっている。
「老後2000万円不足」案件でも、
→報告受け取りを拒否
→そういう問題は存在しない
→存在しないのだから議論する必要なし
→予算委員会を開かない
というトンデモ手段に出た。
今回のケイ氏の案件でも、全く同じ手段が取られている。
しかし、ここは日本国内ではない。
こんな手段が通用するのは、日本国内限定であることすら、今の日本政府は分からないのだろうか。
これが昭和あたりの日本であれば、まずは話に耳を傾け(たフリをして)、「検討する」などと言って、放置、というような対応を取ったのであろうが、近ごろの政府は、国内で通用する常套手段を平気で国際社会にも持ち込んでしまう。
国際社会では、ドン引きされるだけなのに。
思えば「シャラップ上田」事件あたりから、もうそういう兆候は見えていたのかもしれない。
シャラップ上田事件←知らない人のために、一応リンクを張っておく。
こういう醜態を世界に晒しながら、国内では「世界のリーダシップを」をなどと言っている日本政府を見ると、もう苦笑しか出ない。