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「AI、AI」と声は上げるが、カネは出さない日本

「AI」という言葉が、日本ではちょっと異様な形でもてはやされている。
確かに、使い方によっては、想像を超えた「便利」の可能性を秘めた技術だとは思う。
ここでは、AIを否定したいわけではない。

 

しかし、日ごろ政治や時事をウォッチしていると、そこに登場する「AI」というものが、ひどくチープなのだ。
政府の資料なんぞ、あまり目を通す人はいないから、話題にならないが、もし機会があれば見てほしい。
パッと見た感じは、夢のような粉飾を施しているのだが、よく読むとスカスカで実がない。
技術そのものよりも、『日本が世界で後れを取っている「AI技術」を巻き返す』という目標を立て、そのためには、どんな無茶な改革も政策も許されるという「錦の御旗」として、利用されている感じしかない。

 

そのためには、「AI」というものが、絶対的な価値を持っていなければならない。
「AI」以外にも、「IoT」とか「ICT」などが、十把一絡げに出てくるわけだが、それらを政府が説明する時、あらゆる社会問題を解決する、「夢のテクノロジー」として語られている。
それは、もはや「信仰」に近いレベルだ。

 

政府の言う「あらゆる社会問題」とは、なにか。
具体的に挙げてみよう。
例えば、政府が提唱するSociety 5.0にはこんな記述がある。

また、人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化地方の過疎化貧富の格差などの課題が克服されます。社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重し合あえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となります。
(Society 5.0内閣府HPより)

いくつかの問題に対しては、多少の効果的な利用法があるかもしれないが、「貧富の格差を克服する」なんてことは、ありえない。

他にも、AIで解決できるものとして、
・温室効果ガス削減
・食料ロスの削減
・富の再配分 ←ここまでくると、ホラとも言える。
なども挙げている。

 

ここで興味深いのは、政府が今の日本が抱える問題を、想像以上にきちんと把握しているということだ。
少子高齢化などの社会現象だけでなく、国民の精神状態を「希望が持てない」「尊重しあえない」というところまで、キッチリ把握しているところにむしろ意外性を感じた。

 

だったら、なぜそれらに真正面から取り組まないのだ?

 

問題の数々を正確に把握しながら、「AI社会で、すべて解決!」などという欺瞞を広告会社に宣伝させて、怪しい構造改革の大義名分に利用する。
今、政府がやっているのは、そんなことに過ぎない。

本来、政府は「AI」に関して何をするべきなのか。

先日、報道で見かけたのだが、日本には、AI人材が他の先進国に比べて圧倒的に少ないのだそうだ。

NHK AI人材獲得競争より

先進国の中でもデジタル化が遅れ気味のドイツが、「最も足りている」という順位にいることに、ちょっと疑問を感じたが、これは絶対数ではなく、あくまで「足りない度」を示しているだけのようだ。それは次の図を見ると分かる。


圧倒的にAI人材不足の日本 2019年5月11日朝日新聞より)

「足りていない国」3番手の米国が、すでにこれだけの人数を抱えているということは、いかにその事業数が多いか、ということを表している。

それにしても、どちらの図を見ても、日本のAI人材の少なさが際立っている。
なぜこんな事態になっているのか、NHKの記事はこう説明している。

「一方で、ドイツや中国は足りているということですけれども、これはなぜなのでしょうか?」

「ドイツでは、1988年に官民共同でAIの研究所が立ち上げられて、マイクロソフトやアマゾンの研究開発拠点を誘致するなど、早くから人材確保に力を入れてきた経緯があります。
さらに、ドイツは2025年までにAI分野に30億ユーロを投資して、専門家の育成につなげるため100人の教授ポストを新設する計画を去年(2018年)11月に明らかにしているんです。
一方、日本はというと、研究開発費の規模や大学の専門学部など、人材を育成するための基盤がドイツや中国などと比べると出来ていないのが現状です。
さらに、せっかく育った研究者が、高い給料を支払う海外の研究機関や民間企業に引き抜かれるケースも後を絶ちません。」
「お金のかけ方が足りないということなんですかね。」

 

「お金のかけ方が足りないということなんですかね。」

 

それしかないだろう。

30億ユーロとは、ざっと換算すれば、3750億円だ。
それを一つの専門分野にぶっ込むというのだから、なかなかの気前だ。
ここで忘れてはならないのは、ドイツの大学が、ほぼ無償に近いという背景だ。

ちなみに、「無償に近い」といういい方をしたのは、ここ10年くらいで、完全無償から少し授業料を取る大学が出てきたからだ。
大学のある州によってその金額が違うのだが、「年間5~10万円」程度なので、日本の学費を思えば、タダみたいなもんである。

追記(2019年5月13日)
州によって「年間5~10万円」程度発生していた学費は、国民の批判が高まったことで、2014年の法改正により元に戻されました。2019年時点ではすでに「完全な無償化」となっています。訂正してお詫びします。

つまり、家計の事情で進学できないという子供が、ほとんどいない前提で、素質のある学生を探し出し、エリートとして教育できるのだから、取りこぼしがない。
これで、差がつかないはずがない。

 

一方、日本はどうだろうか。
つい先日「大学無償化」というインチキな名称を戴いた法案が通ったばかりだ。
世帯の年収が約250万円以下の家庭の子供が対象になるという。
ここですでに、取りこぼされる素質が、一定数現れる。
さらに大学で頭角を現しても、大学に予算がない。
そこで、「海外の研究機関や民間企業に引き抜かれる」のも無理もない話だ。

 

この先、安倍首相や政府が大きく旗を振って「AI、ワッショイ」と掛け声をかけたところで、出すものを出さなければ、何も生まれない。

イージスアショアに6000億円、先日墜落した戦闘機のポンコツ同型機を105機爆買いして、約1兆7000億円。
これだけでも、AI人材養成プロジェクトが何回まわせるだろうか。

これら、研究も含めた大学に必要な予算は、決して日本の経済規模で「出せない額」ではないはずなのに、絶対にやらない政府。
どうしてなんだろう。
みんなが疑問に思う必要がある。

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